往年の大ヒットゲームは、どうして売れたのでしょうか?
この記事では「ついやってしまう体験の作り方」という本を紹介します。本書では、スーパーマリオやドラクエといったゲームを題材に、その中にどのような仕組みやデザインが隠されているかを解き明かしています。
著者の玉樹真一郎さんは、ニンテンドーWiiの企画担当として最も初期のコンセプトワークから開発に関わった方。2010年に任天堂退社し、現在は企画の専門家として企画を考える方法をレクチャーしています。本書では、心を動かす体験の作り方のことを“体験デザイン”といい、そのための3つの方法について説明されています。あの人気ゲームが売れた理由を論理的に解説していきます!
1. 直感のデザイン
人はなぜついやってしまうのか。それを解き明かすために、世界一売れたゲームとしてギネスブックにも載っている「スーパーマリオブラザーズ」を題材に“直感のデザイン”について解説をします。
スーパーマリオの勝利条件
ここで1つ質問です。スーパーマリオは、何をしたら勝ちでしょうか?
これはゲームで一番大切なルールなので、かつてスーパーマリオで遊んだことがある人なら全員即答ができるはず。しかし意外にも、この問題に正解できる人はほとんどいない難問です。まず、よくある間違いの答えは以下のとおり。
- クッパを倒せば勝ち
- ピーチ姫を助ければ勝ち
- 得点を多く取れば勝ち
- コインを集めれば勝ち
実はこれらすべては誤りです。ヒントはスーパーマリオのスタート画面に隠されています。主人公のマリオは、画面の左端にいて右を向いています。これを見ると右に行きたくなりませんか?
この右に行くことこそが、スーパーマリオというゲームの目的なのです。プレイヤーは右に行けばいいんじゃないかと想像して、マリオを右に進ませると最初の敵であるクリボーが登場します。
ここでプレイヤーは喜びます。なぜかというと、右に進むことが目的ではないかという自分の仮説が当たっていたからです。
仮説を立てて試行して、それが当たって歓喜するという体験を通じて、プレイヤーは自分の力でゲームのルールを理解します。そしてこのように自発的に学んだことは、心に深く沁みこんでいきます。この直感でわかるということが、ゲームの面白さにつながっています。
いかに情報をシンプルに抑えるか
スーパーマリオのことを知らない子どもに、最初のスタート画面を見せたところ、面白くなさそうという反応があったといいます。スタート画面はとにかく右に行くという目的に気づかせることに集中していて、それ以外の余計な情報は徹底的に排除されているからです。
ゲームという商品を企画するときは、デザイナーはプレイヤーに認められなかったらどうしようと不安に駆られます。不安に負けてしまうと、画面をゴテゴテと無駄に飾って見栄えを良くしようとします。その結果出来上がるのは、何をすればいいか分からないダメなゲームです。
スーパーマリオはきっぱりと右に行く目的だけを伝えたからこそ、世界中の人々が遊び方を直感的に理解できたのです。ちなみに、マリオが帽子をかぶっていてヒゲを生やしているのは、顔が右を向いていることが分かりやすくするためのデザインであるらしいです。へ〜ですね!
2. 驚きのデザイン
スーパーマリオと並んで日本を代表する名作、ゲームドラゴンクエスト。ドラクエは画面上では数字や文字ばかりで独特のルールも多く、初めて遊ぶ人にとっては複雑なゲームです。
そのデザインにはどのような工夫があるのでしょうか?
1作目のドラゴンクエストのスタート画面を見てみましょう。遊ぶ上で必ず理解しなければいけないのは、画面右上の8つのコマンドです。主人公の勇者は王様から竜を倒すよう命じられて旅立つのですが、部屋の外に出ようにも扉の鍵が閉まっています。
外に出るためには、兵士と話しをしてヒントを聞き、宝箱から鍵をとって扉を開くという行動をする必要があり、進めるうちに自分自身でコマンドを学習していきます。直感のデザインがここでも使われていますね。このように、見事に計算されたデザインを見せてくれるドラクエは、“ゲームの教科書”とも呼ばれています。
ぱふぱふは必要不可欠?
しかしそんな国民的で王道なゲームでありながら、全く教科書的ではない意外な内容も取り入れられています。それが、ぱふぱふです。ゲーム中では詳しい説明は全くありませんが、画面のセリフを読めばなんとなくニュアンスが伝わりますね。
ドラクエは勇者が悪を倒す冒険物語で、基本的にはシリアスな内容です。そこになぜ、ぱふぱふは組み込まれなければならなかったのでしょうか?
その答えは、“シリアスだからこそ必要な要素だった”です。直感のデザインに含まれる仮説と思考のプロセスは、続けているうちにどうしても疲れて飽きが出てきます。ドラクエは宿命的に学習すべき内容が多いゲームだからこそ、疲れや飽きに対処しなければなりませんでした。
ぱふぱふがゲームで登場するタイミングは、初めて橋を渡り強いモンスターとの戦闘を抜けた先の街です。ここまで学習を続け、シリアスな世界を十分に体験してきたからこそプレイヤーの予想を裏切る内容が効果を発揮するのです。この“驚きのデザイン”の仕組みを解説すると以下のようになります。
- プレイヤーはこのゲームはこう進んでいくに違いないと仮説を立てる
- その仮説に従って思考を巡らせる
- 予想に反した内容が突然現れて、驚愕する
という順序です。面白いゲームはなぜ長い時間遊び続けられるかというと、連続する直感のデザインに驚きのデザインを織り交ぜているからだと言えます。
ゲームをすることに意味はあるのか?
しかし、ここでゲームというものの存在を根底から覆す大問題が現れます。そもそもゲームを長い時間遊ぶことに意味があるのか?という疑問です。今も昔もゲームを遊ぶなんて時間のムダだという意見はあります。
ゲームを遊ぶという体験の中には、何らかの意義があるのでしょうか?
それに対する答えが次に解説する、“物語のデザイン”です。
3. 物語のデザイン
物語には、「物語論」という学問分野があります。物語論において、物語は「物語内容(ストーリー)」と「物語言説(ディスコース)」の2つからなるとされています。簡単に言えば、主人公がAに入ってBが起きたという出来事が物語内容、その出来事をどう伝えるかが物語言説です。
物語言説には文章や音声、映像など色々な種類がありますが、ゲームも物語の伝え方の一つです。それも人類史上、かなり新しい物語の語り方です。
例えば、ドラクエでは兵士に話しかけなければ物語は進みません。自分で情報を集めながら、何があったかを理解させる物語の伝え方です。
専門用語では、これを“環境ストーリーテリング”と言います。プレイヤーにしてみれば、物語を明確に伝えてくれないゲームに振り回されることになりますが、脳は意外にもこの翻弄される体験を喜ぶようにできています。
「ラスト・オブ・アス(The Last of Us)」と「風ノ旅ビト」の共通点
本書の中では、物語のデザインを説明する題材として、「ラスト・オブ・アス(The Last of Us)」と「風ノ旅ビト」という2つのゲームを取り上げています。この2つのゲームはまったく違う種類のゲームですが、物語のデザインの仕方にはよく似た部分があります。その一つは主人公を邪魔する存在として、同行者が現れることです。
- 「ラスト・オブ・アス」では、主人公と共に旅をする少女エリー
- 「風ノ旅ビト」では、主人公と全く同じ姿形をして突然現れる謎の同行者
いずれも、最初は主人公も邪魔をしてプレイヤーを苛立たせる存在なのですが、共に旅をするうちに親近感を感じるようになり、その後同行者は絶体絶命の危機に陥ります。その時には、プレイヤーは何とかして同行者を救いたい、という気持ちになっています。ゲームの主人公とプレイヤーは“同行者に対する気持ち”という点で感情が一致し、共感を覚えるようになっているのです。これが、プレイヤー自身の成長です。
2つのゲームの似た部分として、最後の場面でプレイヤー自身がとても難しい決断を迫られるということがあります。「ラスト・オブ・アス」では、それは20年前に亡くした娘によく似た少女の命を救うか、それとも転びかけた世界を救うかという究極の選択として表れます。プレイヤー自身が自ら選択して、物語を描こうとすること。これこそが、ゲームにしかできないデザインの方法なのです。物語のデザインの仕組みは、以下のようになります。
- プレイヤーは物語を理解しようとして翻弄される
- 物語の主人公と同じように、プレイヤーが成長する
- プレイヤー自身の意思によって運命を切り開かせる
英雄は最後に必ず家に帰る
世界中の神話を研究したジョーゼフ・キャンベルは、あらゆる神話に共通するパターンも存在を発見しました。その名も“英雄の旅”。主人公は決意をして旅に出て仲間に出会い、試練に立ち向かい成長していきます。そして、最後には必ず家に帰るのです。
これについても「ラスト・オブ・アス」と「風ノ旅ビト」はよく似ていて、最後にはゲームのスタート地点に戻るという結末になっています。なぜ物語はスタート地点で終わらなければいけないのでしょうか?
ゲームは体験を通してプレイヤーを成長させるのですが、プレイヤー本人が自分の成長に気づく必要があります。そのためにスタート地点に戻して、旅に出る前の自分と旅から戻った自分を比べさせるという構造になっているんですね。
以上「ついやってしまう体験の作り方」の解説をしました。本書では体験デザインの仕組みについて、よりたくさんの具体例とともに詳しく書かれています。気になる方はぜひ手にとってみてください!