この記事では、構造主義の祖、レヴィ・ストロースを解説します。
まず、構造主義って何?を簡単に説明すると、人間の社会文化的現象の背後には、目に見えない構造があると考える思想のことです。
これでもよく分からないですよね。構造主義は、サルトルをはじめとする実存主義と対立的に表現されることが多いので、実存主義と比較しながら解説したいと思います。
テクノロジーが加速的に発展している現代にこそ、見つめ直したい思想なので、ぜひ最後まで読んでみてください!
1. レヴィ・ストロースの構造主義
クロード・レヴィ=ストロースは、1908年ベルギーのブリュッセル生まれのフランスの社会人類学者、民族学者です。父親は画家、曽祖父は作曲家という芸術一家に生まれたため、幼少期から芸術に親しんで暮らしていました。
少年期には、過去にフランスで流行っていたジャポニズムへの関心があり、日本の浮世絵や美術工芸品にも興味があったそうです。
その後、マルクス主義の影響を受けた高校生の頃には、社会主義運動にも参加し、政治的な活動も開始します。ソルボンヌ大学卒業後には、アグレガシオン(哲学教授資格試験)に合格、高校教師として働き始めます。
同じ歳の試験の合格者には、サルトルの内縁の妻であったシモーヌ・ド・ボーヴォワールやメルロー・ポンティといった有名人もいました。
アマゾンの原住民族調査
教師として教鞭を振るうかたわら、ストロースはパリ大学での指導教授の一人であった社会学者セレスタン・ブーグレから、ブラジルに新しくできるサンパウロ大学の社会学教授にならないかと誘われます。
彼はこれを受け、ブラジルでの生活を開始。
そこでは教授をしながらも、アマゾン川の支流に住む原住民族の調査を行い、徐々に構造主義の思想を固めていくこととなります。
ブラジルでの長期横断調査を終えたのち、第二次世界大戦前夜にフランスに帰国。その後、第二次世界大戦の激化に伴いアメリカに亡命します。
そんな世界の情勢の中でも、ストロースは1948年頃に博士論文として完成させた「親族の基本構造」をはじめ、「悲しき熱帯」、「野生の思考」などの書籍を精力的に執筆しました。
実存主義の存在
レヴィ・ストロースと言えば、“構造主義”。
これは、人間の社会文化的現象の裏側には、目には見えない構造が存在するという思想です。
簡単な例えで言えば、”じゃんけん”のような三つ巴の対立構造をもつ遊びは、多くの文化に共通している、といったものです。
1950〜60年代のおいてそれまで勢いのあったのは、サルトルをはじめとする“実存主義者”。
サルトルは、人間とは歴史に投げ込まれた自由な存在であり、自由の刑に処されている人間は、自ら積極的に歴史に参加することによって、新たな歴史を作ることができると語りました。
この考え方は、社会情勢が不安定であった当時、民衆を熱狂させ、一大ムーブメントをつくり出しました。
西洋的な歴史観の強要
しかし、構造主義は、実存主義に“待った”をかけます。サルトル的な歴史観は、西洋の歴史を前提としています。
しかし、他の文明や民族を考慮していないため、他からみれば偏見であり、自由な人間によって歴史がより良い方向に進むという実存主義の主張は、西洋的な歴史観の強要であると、ストロースは捉えました。
さらに彼は、サルトルの“人間は根源的に自由である”という主張に対し、人間の思考や行動は、その根底にある社会的・文化的な構造に支配されているのではないかと反論したのです。
2. 野生の思考の発見
先に述べたとおり、レヴィ・ストロースが構造主義の思考に行き着いたきっかけは、南米に住む“未開人”の研究に由来します。
西洋文化的な発展は、例えるなら設計図のある進化。過去の歴史を通して、未来のある地点に向かって合理的・論理的に進化が進むことを良しとしています。
これは、新たな発見や技術革新による科学的思考とも言えます。しかしそうした進化の先には、戦争や環境破壊といった問題もはらんでいました。
一方で、未開人の歴史や日々の生活には進化の設計図はありません。西洋的な歴史観が存在しないです。
彼らはその日暮らしで、そこにあるあり合わせの素材や材料を使い、生きています(これをブリコラージュとも言います)。
野生の思考
こうした未開人の生活は、西洋人から見ると、原始時代の自分たちを見ているようで、歴史に置いていかれた人たちと捉えてしまいがちです。
しかし、民族単位で冷静に考えてみると、その民族が生存していく上で非常に合理的・論理的な生活だと判断することもできます。
また、未開人の暮らしぶりは、無意識的に西洋文明を拒否しているとも取れます。彼らの生活では、大規模な生産や環境破壊はありません。
ストロースは、このような未開人の思考を、“野生の思考”と表現したのです。
未開人の思考を認める
野生の思考では、未開人の文化を、西洋的な科学技術の発展における途中の段階にあるとは考えません。
一方で、西洋からの他の文化に対する見方は、それらの文化も十分な時間が経てば、自分たちの位置まで追いついてくると思いがちです。
しかし、ストロースはこれを傲慢な考えとし、野生の思考をはじめとする西洋以外の文明・文化は、科学的思考とは別の体系をとっており、違った方向性を持っていると言います。
西洋的な偏見を捨て去り、未開人の思考を全く異なる文化体系にあると認めると、そこから見えてくるものがあります。
3. 実存主義と構造主義
哲学者のソシュールは、さまざまな言語・言葉が集まって世界全体を構成しているのではなく、全体という世界の構造があり、その中で対立や差異が生まれることで、言語や言葉といった区別が生まれると考えました。
レヴィ・ストロースは、ソシュール的な認識の展開に、野生の思考を当てはめます。
個人が集まり、社会が形成されているのではなく、社会文化という大きな構造があり、その中で対立や差異が生まれることにより、個人という単位が成立していると考えたのです。
西洋文化からみた偏見
それまでの哲学では、時間を前提とした思考により、人間の生きるべき歴史が重要視され、議論されてきました。
だからこそ、サルトルは歴史に身を投じ、自ら歴史を作っていくべきだと説いたのです。現在の日本は、西洋文明の影響を多大に受けており、その感覚は脈々と受け継がれています。
例えば、私たちは過去から未来に向かって生きており、必然的に世の中は成長していくという感覚がある思います。歴史の歩みと共に進化を続けていくべきという謎の了解が形成されているのです。
しかし、ストロースが採用したソシュール的な枠組みでは、成長以前に歴史という概念自体が一つの文化から見た偏見だと考えられます。
同一社会の過去と今を比較するのではなく、現時点でのそれぞれの社会や文化の差異や対立を研究することのほうが有意義なのではないかというのが構造主義のスタンスです。
4. 人類共通の構造をとらえる
レヴィ・ストロースが、人間社会の根底にある構造を意識し始めた大きなきっかけは、近親婚の禁止(インセストタブー)です。
西洋的文化に生きる私たちは、近親婚は当然禁止されていますよね。これは科学的にも合理的で、近親婚で生まれる子孫には障害を持つ子どもが多いという理由があります。
しかし、ストロースが調査した南米の未開人の文化には、近親婚の禁止は存在せず、近親婚のデメリットも当然知られていませんでした。
一方で、彼らには“女性交換”という文化がありました。これはそれぞれの部族間で、女性を嫁がせるという仕組みです。
この目的はいくつかあるのですが、一つは部族間のコミュニケーションです。日本にも政略結婚など文化がありましたが、身内の者を他の部族に嫁がせることによって、両部族の平和を保つことができるのです。
そうした科学的でない目的で行われている女性交換は、結果として近親婚の回避につながっているのです。
それぞれの文化は並列にある
こうした未開人の無意識の知恵は、科学的思考ではなく野生の思考によって近親婚を禁忌としていると言えます。
このように全く違うように見える西洋人と未開人の文化をつぶさに観察していくと、根底にある共通項が見いだせることは少なくありません。
これら共通項は、人類が共通で持ち得る構造と考えられます。
逆に、仮に西洋文化しか見えていなかった場合、他の文化を含め、近親婚の禁止が人類共通の構造であるかどうかを検証することはできません。
それぞれの文化は並列にあると認め、差異や共通点を研究することで、それまでに見えていなかったことを発見できる。
これこそが、構造主義が画期的なところです。構造主義が生まれたのは1960年代ですが、今なお世の中に影響を与えています。
西洋をはじめとする科学技術による進化だけで物事を考えず、私たちがまだ知覚できていない構造が世の中にはたくさんあるかもしれないと考えることで、人類はよりよい発展が目指せるかもしれません。