あなたは、バカでない自信がありますか?
この記事では、橘玲さんの書籍「バカと無知 人間、この不都合な生きもの」を取り上げます。
橘さんはこれまでも多くの書籍で、残酷な現実を私たちに示してくれました。
今回の書籍も、私たちの知的好奇心をくすぐる内容が満載。とても濃密でハッとさせられること間違いなしなので、ぜひ最後まで読んでみてください!
1. バカの問題は、自分がバカだと気づかないこと
- あなたは、自動車の運転が世間一般と比べて、上手いですか?
- ユーモアのセンスは、平均以上ですか?
- 論理的思考能力は、ある方ですか?
自分の能力と世間一般の平均を比較したとき、多くのの人は、自分が人並み以上の能力を持っていると答えるそうです。このことを本書では“人並み以上効果”と呼びます。
恋愛や仕事での成功の見込み、我が子の才能などあらゆることについて、「平均と比べてどうですか?」と聞かれると、人並み以上と答えてしまうのが、人間の習性です。しかし、この習性は人によってその出方にばらつきがあります。そして、より強く出るのは、平均よりもかなり能力の低い人だとが分かっています。
ある実験で、学生に対して“論理的推察能力”に関するテストを行いました。このテストは、最低点0点~最高点100点、平均点50点になるように設定されたテストです。まず、これを受ける前に学生たちに、「何点くらい取れそうか?」と質問をします。
その自己評価の平均は、66点でした。これは先ほど説明したとおり、人並み以上効果によるもので、自分を平均点以上だと予測した結果、本来の平均の50点を大幅に超えた66点になっています。
能力が低い人は自分の能力を過大評価する
面白いのはここからで、成績下位25%の学生たちの平均点は12点でしたが、このグループはなんと平均して68点取れそうだと答えたそうです。実際は12点の人が、予測の段階では 68点。
つまり、自分の能力を5倍以上過大評価してしまっていたのです。一方で、成績が上位25%の学生たちの平均点は86点でしたが、予想時の平均点は74点。
成績上位者は逆に、自分の点数を低く見積もっていたのです。成績上位者が点数を低く見積もるのは、「自分がこれだけ解けたから、他人も解けているだろう」と、他者を過大評価したがゆえの見積もりだということがわかっています。
この研究から、能力が低い人は自分の能力を過大評価し、能力が高い人は他者の能力を過大評価することが分かりました。注目すべきは、能力が低い人が自分の能力を、とてつもなく過大評価していること。これは論理力のテスト以外でも同じで、文法問題やユーモアのセンスなどについても、同じ結果になることが知られています。
つまり、能力が低い人は、多くのことで能力が低いことに気づかないということです。本書ではこれを、「バカの問題は、自分がバカであることに気づかないこと。なぜなら、バカだから」と簡潔に表現されています。
このバカの問題を知って、「バカなどうしようもないな」と思うかもしれません。しかし、あなたも私も、自分自身がそのバカであることを知る術はありません。気がつくことができないからこそ、他人のことを”バカだな”と、さも自分はバカじゃないと思えてしまうのです。
2. 勘違いアドバイスという弊害
なぜ、能力が低い人は自分の能力を過大評価し、能力が高い人は他者の能力を過大評価するのかについて、本書では人類の進化の歴史から説明しています。人は旧石器時代から何百万年も150人ほどの小さな共同体の中で、地位を巡って争ってきました。
評価の基準は時代や環境によって異なりますが、能力のある人が高い地位を獲得するという原則は、今と同じです。自分に能力がないことを、他者に知られてしまうのは致命的。だからこそ、能力の低い人は自分の能力を大幅に過大評価するように進化したそうです。
一方で、優れた能力を他者に知られることも、またリスクになります。なぜなら、権力者が真っ先に排除しようとするのは、将来のライバルになりそうな有能な人です。有能な人は、自分の能力を過小評価したり、他人の能力を過大評価することで、共同体の中で極端に目立つことを避けようとしてきたのです。
勘違いアドバイス
これらが人間関係にもたらす悪影響として、“勘違いアドバイス”があります。できもしないことについて、ついつい口を出したくなる根底には、これぐらいならできるかもという自分への過大評価があるかもしれません。
そのため、アドバイスしたいと思った時に、あなたは本当にアドバイスできるほどかを考える必要があります。人にヘンテコなアドバイスをする前に、あなたがその土俵に立っているのか、冷静に考えてみてください。
また、アドバイスは言い方に気をつけないと、一種のマウントとして働き、他人の自尊心を傷つけます。自分じゃできないことを得意げにアドバイスする人は、相手から見たらマウントを取りに来た敵と同じ。
基本的には、よほど得意なことでもなければ、アドバイスはしない方がいいでしょう。アドバイスは求められているとき以外は、しない方が無難です。
平均以上はできるだろうと思っている能力のほとんどが、平均以下であるという認識を持ち、自分自身を客観視しすると同時に、低く見積もりがちな自分が得意なことを、長年続けてきたのなら誇りを持つ。
それっぽいアドバイスをしてくる人は、平均以上だと思い込んでいる無知なバカである可能性が高いので、気にせず自分自身の能力を大切にすることから始めてみるといいかもしれません。
3. バカほど声が大きく、論破を喜ぶ本当の理由
話し合いの末に、正解からほど遠い結論が導かれてしまった経験はありませんか?
世の中には、賢い人が独断で決めた方がいいと思えることが多いです。これに関しても、面白い実験を行った研究者がいます。実験の詳細は省きますが、その結果分かったことは、2人とも一定以上の能力がある場合、話し合いによって客観的な正解に近づきやすくなる。
2人のうち1人の能力が明らかに劣る場合では、話し合いによって結果はどんどん悪くなり、コイン投げで答えを選ぶよりも、正解を導く確率が下がってしまう。
つまり、賢い人同士で話し合っている場合は問題なく議論が進み、よりよい正解に近づいていく一方で、賢い人とバカが話し合った場合、バカの論が尊重されやすく、間違いに進む傾向があるということです。
バカが賢い人を論破する理由
なぜ、こんなことが起きてしまうのでしょうか。その秘密は、旧石器時代の濃密な共同体にあります。地位を巡って競争している時に、能力が低いことを自ら認めることは致命的で、自分の能力を無意識に過大評価することは先ほど述べたとおり。
一方で、能力の高い人は、相手も自分と同等の能力を持っているだろうと、最初は見積ります。これは、何の情報もないときに相手を見くびると、手広いしっぺ返をくらうことがあり、また共同体の中で目立ちすぎると排斥される恐れがあるからです。
結果として、能力に大きな違いがある2人が話し合うと、自分の能力を過小評価し、かつ相手の能力を過大評価する賢い人が、自分の能力を大幅に過大評価するバカに引きずられて、間違った選択をしてしまうのです。
このように、話し合いの場ではバカが賢い人を論破するかたちとなり、バカの意見ばかりが通るようになってしまいます。
実験からは、一方が他方の能力の40%を下回ると、話し合いの結果は優秀な個人の選択よりも、悪くなることが示されています。
4. バカの自尊心を保つ方法
では、バカに引きずられないようにするには、どうしたらいいのでしょうか。まず真っ先に思いつくのは、バカを排除すること。しかし、会社や学校、趣味のグループ、家族でも現代社会において排除はほとんどないです。
つまり、排除以外の方法を見つける必要があります。そのためにはまず、なぜバカが自分の能力を過大評価してしまうのか、自分の決定に自信があるように振る舞ってしまうのかについて考えてみましょう。
社会心理学において、私たちは固有の“自尊心メーター”を持っていると考えられています。このメーターの針が上がると幸福感を覚え、下がると自尊心が傷ついたとアラームが鳴ります。
ここでの自尊心とは、他人からの評価です。私たち社会的生物の脳は、他者からの批判を殴られたり、蹴られたりするのと同じように感じます。
自尊心を傷つけてくる奴は、殴ってくる敵であり、自尊心が傷つくのは生命の危機。そのため、人は原始時代から数百万年かけて、どんなことをしてでも自尊心を高く保ち、自己肯定感が下がるような事態を避けるように進化し、それが生存につながってきました。
話し合いの場面で自分の能力を過大評価するのは、暴力から身を守るのと同じ。自尊心が傷つかないように身を守ることは、極めて自然な反応です。
匿名投票で自尊心を守る
そこで、能力の低い人の自尊心が傷つかないようなかたちで、みんなの意見をまとめることができれば、彼らも自分の能力を過剰評価せずに、自分の意見を正確に、正直に伝えられるはずです。
その方法としては、例えば“匿名投票”などがあります。これを行う際に重要なこととしては、事前に話し合いなどの場を設けないこと。
話し合いの場を設けてしまうと、結局そこでバカの意見が押し通り、みんながその声の大きさに騙されて、間違った意思決定を下してしまうことになりかねません。また、投票の際に、自分の決定に対する自信度を記入してもらうとよりいいかもしれません。
匿名投票の場では、自尊心は脅威にさらされないので、自信がない人は自分の自信のなさを正直に伝え、より自信がある人の決定に合わせやすくなります。これにより、能力が低い人と高い人が様々入り乱れるような集団でも、より正確な決定を下せるようになります。
5. 現代は間違った知識の方が広まりやすい
最近では、バカの自信過剰により社会に破滅的な効果をもたらされることもあります。その代表例が、Twitterを始めとするSNS。これらは、すべての発言が平等に表示される。
どこの誰とも分からぬ見ず知らずの人の発言を評価するとき、私たちは実績よりも自信を参考にしてしまう傾向にあります。つまり、どれほど馬鹿げた主張であっても、相手が自信たっぷりだと、思わず信じてしまうのです。
他方で、賢く熟慮して発言する人ほど、物事を断言するようなことはしませんし、もったいぶった自信がないような言い回しを選んでしまう。また賢い人は、周りの能力を過信しがちで、自分の意見は取るに足らないと考え発言しないこともありえます。
正しい知識は広まらない
さらに、能力が低い人が自信満々に発言ことを一度信じると、自分自身の判断を過大評価する人間の性質によって、それは間違いないと太鼓判が押されていきます。
これにより、SNSでは確かではない情報の方が、蔓延しやすくなっています。正しい知識ほど広まらず、間違った知識の方が広まりやすい。
これは私たち人間の脳の構造上、仕方がないことなのです。お互いを監視できない関係が薄い現代社会では、他人を騙した人が罰を与えられないままのさばっていることがよくあります。
隣に住んでいる人の名前すら知らない一方で、一生出会うことすらない人の発言を毎日聞いては頭にその思想を叩き込んで信じ込んでいる。歴史的に見て極めて異常な社会に、私たちは生きているのです。
SNSは罵詈雑言をぶつけ合う場
疑うことには体力が要り、面倒だから信じる方に舵を切ってしまう。信じた意見は自分の中で消化され、自分自身の考えとして強固なものになっていく。
そして、自分の判断を否定するような意見がぶつけられると攻撃と見なし、自尊心を守るために必要に誹謗中傷すら繰り返す。
SNSでは、何が事実で何がフェイクか検証されないまま、異なる考えを持つ者同士が、話し合いによって解決策を探す場ではなく、罵詈雑言をぶつけ合う場になっています。
本書ではこの厄介な問題を解決する方法として、投稿者一人一人をマイナンバーなどで本人と紐付け、ルール違反を即座に処罰できるようにすることや、投稿者の信用度を評価して公開し、一定以下だとSNSから排除する仕組みも必要と述べられています。ただし、これを言論統制だと考える人がいるのもまた事実です。
6. 美男美女が幸福とは限らない
SNSに溢れる自撮り。加工して少しでもよく見せようとすることから分かるように、現代社会で外見の魅力はとても大きな価値があります。外見が魅力的=大きな価値を持っているのだから、外見が魅力的な人は自尊心も高いだろうし、幸せに違いない。
美男美女は自尊心が高く、幸福度も高いということは、議論の余地のない真実だと思われがちです。しかし、幸福だと自尊心も高くなるという順番がポイントで、自尊心を高めれば幸福になれるわけではありません。
美男美女は自尊心が高く、幸福度も高いかを確かめるべく、ある実験が行われました。
参加者はイリノイ大学の白人学生約200人の男女。参加者は幸福度(幸福感・ポジティブ感情・生活満足度)を測るテストを受けた後、主観的な魅力度を10段階で評価しました。
次に写真やビデオ撮影を行い、すっぴんの場合や服装が分かる場合、正面が横顔などを様々なパターンでの撮影を行い、客観的な魅力度を測るのに使います。
つまり、幸福度と主観的・客観的な魅力度の3つの材料の関係を調べたのです。
見た目が大事と思っているかどうか
この実験で分かったことは、客観的な魅力を調べる3種類の評価素材の相関が高いこと。正面の写真が魅力的であれば横側も魅力的で、動画も魅力的だと評価されたのです。
加えて、客観的な魅力度評価点は、2.33~7.05の間でばらつきました。つまり、第三者目線では、外見の魅力度にかなり大きな違いがあるということです。あなたが美人だと思った人も、他の人はそれほどでもないかもしれません。
これはごく当たり前の話ですが、ここからが本題。意外なことに女子学生に関しては、外見の魅力度と全体的な幸福感・ポジティブ感情・生活満足度に何の相関もなかったのです。
さらに、統計的に優位ではないものの、全体的な幸福感は外見が魅力的なほど、つまり美人なほど低くなるという逆の結果が表れたのです。
対して男子学生は、生活満足度のみ外見が魅力的なほど高くなりました。しかし、残りの2つはほとんど影響がなかったです。
つまり、美男子だからといって、外見の魅力はそれほど幸福度に影響を与えないということです。
ただし、一つ例外があります。男女ともに魅力的であることが重要だと思っている学生は、その人の外見が幸福度に影響していたということ。
つまり、女は美人じゃなきゃと思っている女性は、自分が美人であれば幸福に。見た目が大事だと思っている男性は、イケメンであれば幸福に、そうでなければ不幸に感じるということです。
見た目に囚われる人ほど、美男美女であることが価値を持つ。逆にそれほど外見を重要視していない美人は、外見を褒めらてもそれほど嬉しくなく、「美人だからラッキーだね」と嫌味すら言われて自尊心が傷つきやすく分、幸福度が下がりやすいのかもしれません。
7. 自分のことを魅力的だと思えると幸福度が高い
このように、外見は諸刃の剣ですが、一方で主観的な魅力度がすべての幸福度に一定の影響を及ぼすことが分かっています。客観的な評価はどうであれ、自分のことを魅力的だと思っている学生は、男でも女でも幸福度が高かったのです。
幸福に生きるためには、美人かイケメンかよりも、あなた自身が魅力的な存在だと感じているかどうかの方がずっと大切だということですね。
また、外見と恋愛が無関係というデータも得られています。家族や友人など身近な人が魅力度を評価するときは、外見が評価対象に入らなくなるということです。
長く一緒いると、外見はその人の魅力に関係なくなる。これは、理解しやすい事実ではないでしょうか。
さらに研究者は、外見の魅力度を上位1/4の美男美女と、下位1/4の2つのグループに分け、幸福度とデートの回数を調べてみました。
結果としては、外見にかなりの差があっても、幸福度については影響はほとんどなく、女子学生では外見の魅力がない方が、幸福度が高い傾向にありました。
一方で、デートの回数には男女差があり、女性では確かに魅力的な方がデートをしていましたが、男性ではデートの回数にほとんど違いがありませんでした。
主観的な魅力を磨く
この奇妙な現象を解明すべく、研究者はさらに、幸福度の上位1/4の下位1/4の学生を比較しました。すると、男女ともに幸福度が高いとデートの回数が多いことが分かったのです。
つまり、主観的な魅力度と幸福度には密接な関係がある上で、幸福だと自尊心が高くなるので、自尊心が傷つくことを恐れず、デートにも誘いやすくなるのかもしれません。
客観的な魅力度は見る人によってかなり違いがあるので、積極的にデートに誘えば、そのうち何人かとデートできるというのは自然なこと。あるいは、男子学生の場合は外見よりも運動能力やコミュ力、勉強ができるといった別の指標で評価されている可能性もあります。
いずれにせよ客観的な魅力よりも主観的な魅力、例えば自分が重きを置くことで、成果が出せるように頑張ることを磨いていくことが、幸福の近道だということです。
また、昔から自分が美人やイケメンであることに慣れてしまっていると、それが得だ損だといちいち考えることがないそうです。
美人は平均より8%収入が多く不美人は4%少ない、イケメンは平均より4%収入が多く、不美男は13%少ないというデータがありますが、美男美女からしたら、それが当たり前で、そこに損得の意識はないです。
人間は自分が当たり前に持っている能力や環境には慣れすぎて、そんなことをいちいち幸福と感じない。
あなたが羨ましいと思っている相手は、あなたが思っているほど幸せではない可能性がある。人類は意外と平等に幸福になるように設計されているということが理解できたでしょうか。
あなたにはあなたの人生、あなたの幸福があり、他人には他人の幸福があります。他人と比べる必要はありません。あなただけの幸福を探すのが、幸せの近道なのです 。
本書、橘玲さんの「バカと無知 人間、この不都合な生きもの」では、今回紹介した以外にも正義や差別、記憶などについて、ハッとさせられる内容が盛りだくさんです。気になる方は、ぜひ手にとってみてください!