『DEATH「死」とは何か』要約(社会、不安、恐怖、死はなぜ怖いのか?)

ハッとさせられる考え方・哲学


みなさんは死について、深く考えたことはありますか?

直感的に死は怖いもの、悪いものと捉えている人が多いと思います。

中には、死は生からの解放であると主張する人もいますが、それはごく一部ですよね。

誰もが怖い、迎えたくないと思う“死”についてイェール大学のシェリー・ケーガン教授は、長年深く考察し、“なぜ死は悪いことなのか、何をもって悪いと判断されるのか”、その捉え方を哲学的に示しています。

それが、この記事で紹介する 「DEATH-死とは何か」という書籍です。

なかなか屁理屈に思えて、結局怖いものは怖いと思って終わる人もいるでしょうが、こういった考え方もあるんだな、と興味本位に読んでみてください。

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1. 死における他者との関係について


まず、死が悪いのならば、「死は誰にとって悪いのか」ということを考えていきます。

考えられるのは以下の2パターンです。

・死は周りの人にとって悪い
・死は本人にとって悪い

1つ目のパターンについては想像に易いと思います。誰かが死ぬと残された人が悲しいということです。

ただし、ここでよく考えてみないといけないのは、なぜ悲しいかということです。

それは死ぬことで故人にもう会えないことへの悲しみかと思います。それならば以下の例の場合はどうでしょう。

 

あなたのある友人が、遥か彼方の星の探査で宇宙へ行くとします。その友人は、地球を出てから10分後に連絡が途絶え、次に地球にやってくるのは100年後。

友人は光速に近いスピードで移動しているので、10歳しか歳を取りません(相対性理論による)が、地球の100年後のあなたはとうに死んでしまいます。あなたは、その友人にもう会えないので、「別離」の悲しみを味わうことになります。

なんだか星新一の世界観ですね。

 

ここでこの話に1つ条件を加えます。

宇宙船が出発してから15分後に、ある事件が起きます。なんと、機器の不具合で宇宙船が爆発し大破、あなたの友人を含めて乗っていた人全員死んでしまうのです。

この条件が付くと、話はより悪いと考える人が多いと思います。

ただしその理由は、その友人ともう2度と会えなくなるからではなく、その友人が爆発で死んで可哀想だからです。

なぜなら、宇宙船が爆発しなくてもあなたに「別離」は起きているからです。

 

このことから、死は周りの人にとって悪いのではなく、「本人」にとって悪いということがわかると思います。

実際、ドライに言えば人が一人いなくなったところで、残った人たちで互いに補完し合いながら世界は動き続けます。

他人が死ぬことによる悲しみは、実は死と間接的な関係で、「別離」がいつ起きるかによるということ、死ぬこと自体は本人にとってのみ悪いということが何となく理解できると思います。

 

2. 死が自分にとって怖い理由


先ほど死は自分にとってのみ悪いと書きました。

では当人は何を思い、悪い、怖いと感じるのでしょうか。

その結論として有力なのがシェリーさんの唱える「剥奪説」です。

 

「剥奪説」とは、「死んだらその後受けるであろう人生における良いことを受けられなくなる。だから死は悪い」という考え方です。

つまり、死ぬことで今後起こりうる楽しい経験を奪われるという説です。

まだ自分にはやりたいことがたくさんある、バラ色の人生が待っていると思える人にとっては耐え難いことです。

 

しかし一方で、この考えの下では自殺も正当化されてしまいます。ごく稀な条件下で。

シェリーさん曰く、自殺が正当化されるケースは存在すると言います。
それは今後の人生が悲惨で絶望に満ちており、人生を終了させたほうがいい、と判断されるケースです。

加えて、そう判断には、これからの人生が今後どうなるかを事前に把握していないといけないこと、そして自身が正常な判断ができる状況下であることなどがマスト条件になってきます。

例えば、不慮の事故で植物状態となってしまった場合、生き続けても治る見込みがなければ、ややもすれば自殺を正当と判断できる可能性があるかもしれません。

他方で、失恋やリストラなどでの苦しみから突発的に自殺を考えてしまう場合は、正常な判断ができる状況下にはなく、これからの人生もずっと絶望が続くとは限らないので自殺は正当化されない、という判断になります。

「剥奪説」から考えると、自殺が正当化される条件に当てはまるケースはごく稀ということです。

 

また、死がどんなものか想像できないことも怖さを感じる原因の1つではないでしょうか。

これについては、無意識に寝ている時や胎児の時期と同じで、私たちが意識できる人格の存在する時期とそうでない時期と区別すると、私たちはすでに「死」を体験済みで、死んだら苦しいなどということはなく、意識がなくなる「無」の状態から戻って来れないだけになります。

私たちの人格の存在する時期は、宇宙の歴史からすれば星の瞬きほどで、意識できない、人格の存在しない時期の方が当たり前で、圧倒的に長いのです。

そう捉えると、死をより身近に感じられるかもしれません。

 

3. 存在しないこと=悪いこと?


死によって自分の存在しない世界が生じることで成立する「剥奪説」。

この「存在しないこと=悪いこと」という考え方にはいくつか考えておくべき問題があります。

まず、「生まれる前と死んだ後は同じくらい悪いのか」について。

もし、存在しないことが悪いなら、死んだ後だけでなく、生まれる前の時間も悪いのでしょうか。


自分が存在する前の無限の時間を悪い、もったいない、と常に思っている人はたぶんいませんよね?
(あの時代に生まれたかったとかはあるかもしれませんが、それは今のあなたが存在してこそ相対的に感じられる話です。)

生まれる前の自分が存在していない時間が悪いことでないなら、死んだ後の時間も悪くないはず…

しかし、生まれる前後での「非存在」では、決定的な違いがあります。
それは、喪失を伴うか伴わないかの違いです。

人は将来手に入るものを持っていないことよりも、かつて持っていたものを失うことの方が悪いと考えるのです。

一度手に入れてしまったものへの喪失、これが存在しないこと自体は悪いことではないという理由です。

 

アップルの創業者、スティーブ・ジョブズは毎朝今日死ぬなら何をするかと考えていたそうです。

死があるからこそ人は刹那の人生にエネルギーを燃やすことができます。

死を怖がるなら、その恐怖の正体は自分にとって何なのか、未来から剥奪されそうなことがあるならそれをいかにやり遂げるか、といった問いを定期的にでも念じてみると生き方が変わるかもしれないですね。

 

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