軽量で機能的、なぜモンベルのアウトドア用品は魅力的なのか?その秘密と歴史を解説!

時代を生き抜く考え方・哲学

画像引用:https://web.goout.jp/

アウトドアメーカーといえば、どこが思い浮かびますか?

この記事では、日本のアウトドアメーカー「モンベル(mont-bell)」を取り上げます。

アウトドアメーカーの中でも、比較的リーズナブルで高品質な商品を販売しているモンベル。

トレッキングからキャンプ、本格的な雪山登山まで、アウトドアに関するものなら何でも揃う万能型のメーカーとして有名です。

 

今回は、そんなモンベルがどのような歴史をたどって現在のかたちにたどり着いたのか、その経緯を時系列に沿って紹介します。

これを読めば、モンベルの歩みをざっくり知ることができますよ!

 

1. アイガー北壁と辰野勇の登山家へのめざめ

snow covered mountain under cloudy sky during daytime

 

1947年、のちにモンベルを創業することになる辰野勇(たつの いさむ)は、大阪府の堺市で寿司屋を営む両親のもとで生まれます。

辰野は高校一年生のある時、一冊の本に出会います。それは、オーストリアの登山がハインリッヒ・ハラーのアイガー北壁登攀記(ほくへきとうはんき)『白い蜘蛛』。

“スイスの死の壁”とも呼ばれるアイガーの北壁に、初めて登頂を達成したハインリッヒに感銘を受けた辰野は、そこからの青春時代を山一筋で過ごしました。

 

また、この時にはすでに辰野の頭の中では、将来は登山に関係したビジネスを起こす夢を抱いていました。

高校を卒業すると、スポーツ用品店に住み込みで働いた後、1969年に弱冠21歳の若さで、辰野はアイガー北壁の登頂に達成。日本人としては2番目でしたが、当時の世界最少年冬版記録を塗り替える偉業でした。

 

時間は取り返しがつかない

この登頂を達成した時、辰野は登山関係で一生食べていけると思ったそうです。

それからも、登山をしながら中堅商社の繊維部門などで、社会人経験を積んでいきます。

そんなある日、質の悪い手袋して登山をしたとき、凍傷になる経験をした辰野。勤めていた商社で扱っている高機能な製品を使えば、もっと良い装備を作れるのではと考えます。

そして、1975年、28歳の誕生日に商社を退社。

その翌日、十分な蓄えはなかったですが、「お金は後で何とかなるが、時間は取り返しがつかない」と思い、大阪の雑居ビルの一室でモンベルを創業します。

山と繊維の知識以外、正真正銘ゼロからのスタートです。

 

2. デュポン社のポリエステル繊維

man standing on field between cliffs

 

起業したばかりの辰野は、どう動いていいのかもわからず、最初の1年間ほとんど自身が考案し制作した登山用具の注文がない日々が続きました。

このままでは会社の存続も危ういと踏んだ辰野は、商社時代の元同僚のつてで、大手スーパーのショッピングバッグの製造を請け負います。

本来やりたかったこととは違いましたが、初年度のモンベルの売り上げのほとんどがこれだったそうです。

その後、ようやくその売上金を利用して登山用具の企画開発にも力を入れていきます。

初めに手掛けたのは、寝袋。

自身の考案した寝袋のサンプルを持って営業に走り回る辰野でしたが、無名のモンベル製品を取り扱ってもらえるわけもなく、全くといいほど売れませんでした。

 

軽量でコンパクトな温かい寝袋

そんな絶望の日々が続く中、またもや以前働いていた商社の恩人からこんなことを聞きます。

「面白い素材があるぞ!」

それはアメリカの化学メーカー超大手・デュポン社のポリエステル繊維で、寝袋の中綿として画期的な新素材でした。

 

普通は無名の企業を、大手のデュポン社が相手をするはずがないのですが、辰野は商社時代にデュポンとの取引があり、面識のあった担当者に、ぜひ使わせてほしいと懇願しました。

その熱意を受けた担当者がこれに OK を出し、そこからは試行錯誤の末、辰野はデュポン社の素材を使った軽量でコンパクトな温かい寝袋を完成させます。

機能的な寝袋を売り出したモンベルは、多くのユーザーから「こんなで袋がほしかった!」と感謝され、モンベルの寝袋はヒット商品となり、アウトドアメーカーモンベルは徐々にその存在感を増していきます。

 

3. パタゴニアとの技術販売提携

two person walking towards mountain covered with snow

 

それからもモンベルは、デュポン社の高機能素材を使った商品を次々と開発し、日本のアウトドアメーカーの中で確固たる地位を確立していきます。

この成功の裏側には、2人のとモンベル社員の熱意に加え、それまで辰野が築き上げてきた人脈が大きく関わっていたのです。

創業3年目の1977年、モンベルの認知度は上がったものの、日本の市場がまだ十分に開拓できていない状態で、辰野はアルピニズムの本場ヨーロッパへ向かいます。

これは、モンベルの商品をヨーロッパに売り込むためでした。

 

辰野がこの段階で海外進出を目指したことには理由がありました。

ビジネスの規模を拡大するには大きく分けて二つの方法があります。

一つは、分野を広げること。

モンベルを例にすると、登山だけではなく野球やサッカーなどスポーツ全般にまで手掛けるといったことです。

しかし、本来山やアウトドアに関連したビジネスをするために始めたモンベルだったので、他のスポーツに手を出そうとは思いもしませんでした。

 

販売地域の拡大を選択

そこで、モンベルはもう一つの方法を取ります。

それは、販売地域の拡大。

年という早さでの海外展開は早すぎると思うかもしれませんが、登山用具に求められるものは世界共通だと考えた辰野は、モンベルの製品であれば世界の登山をする人々の要求に応えられるという自信がありました。

 

そこでまず、提携先と選んだのが、当時完全防水素材の最先端をいっていたパタゴニアです。

ヨーロッパでアウトドアメーカーが集まるパーティーに参加した唯一の日本人である辰野が、そこでワイングラスを持って佇んでいたところを話しかけてきたのがパタゴニア創業者、イヴォン・シュイナード

有名なクライマー同士の2人は意気投合し、モンベルとパタゴニアの両社は技術販売提携契約を結びます。

 

4. パタゴニアとの決別

man in black crew neck t-shirt standing on sidewalk during daytime

 

技術販売提携により、モンベル開発の完全防水素材がパタゴニアのレインウェアに使用され、一方でパタゴニア商品の日本国内販売はモンベルが引き受けるといった親密な関係を構築していきます。

しかし、取引開始から3年目、辰野ある葛藤を感じます。

それは、モンベルが使うパタゴニア製品の売り上げが全体の4分の1を占めていることから生じたものでした。

 

モンベル全体の業績は伸びているものの、商品が売れれば売れるほどモンベルというブランドの存在意義が薄れてくると思えたのです。

またM&Aが日常茶飯地のアメリカのビジネス界で、パタゴニアの経営権が譲渡される可能性もないとは言えなく、そうなってしまえばモンベルの業績が下がることが目に見えていました。

 

パタゴニアとの円満別れ

辰野は悩み抜いた末、今ここでパタゴニアとの決別をしなければ、モンベルの未来は危ういと決意します。

そしてパタゴニアに対し、「日本での販売を自分たちでやってくれないか。」と申し出ます。

最初は驚いたパタゴニアの幹部も、辰野の真剣な思いを理解し、モンベルとパタゴニアは契約を解除することに。

これまで付き合ってきたパタゴニアに対し、日本事務所の開設からスタッフの面接まで手伝い、お互いにとって関係の良いまま、モンベルとパタゴニアは別れることになります。

この別れ方にも、辰野のつながりを重視する人間性がうかがえます。

 

それからモンベルは、単一の売り上げで無事パタゴニアの減少分をカバーし、契約を解除した翌年には、既に前年を超える業績を上げることを達成。

社員の努力、そして何より辰野のモンベルオリジナルへのこだわりが生んだ結果でした。

 

5. モンベルが国内外問わず幅広く愛されている理由

 

モンベルが国内外問わず幅広く愛されている理由は、大きく機能性・価格帯・ラインナップの豊富さの3つに分けられます。

 

機能性

機能性に関しては、大手化学メーカーのデュポンから仕入れた高機能素材だけではなく、自社でも素材からの研究開発を進め、毎年のように商品を試行錯誤しながら改良しています。

また、商品本体だけではなく、売り場に陳列するためのパッケージも自社で作っており、コストを抑えた上で見栄えが良く、表情があるものを自社で作っているそうです。

モンベルは自社のコンセプトに「Light&Fast」「 Function is Beauty」 を掲げており、とにかく軽くて使いやすく、機能性を何よりも重視していることが分かります。

 

価格帯

価格帯については、他のアウトドアブランドよりも2~3割ほど安い特徴があります。

他社との競合を意識した結果というわけではなく、モンベルを始めた当時からいいものを安く、親切に売るという考え方によるものだそうです。

得に辰野は自身が登山家であった経験から、山男はお金がないことを知っており、お金のない登山家たちにも利用しやすい値段で提供することにこだわったのです。

これを実現するには、先ほど言ったように自社でパッケージから素材まで仲介を通さず一気通貫で制作していることが大きな理由になっています。

 

ラインナップの豊富さ

最後のモンベルの大きな特長が、ラインナップの豊富さです。

アウトドア関連の商品であれば何でも揃うモンベルですが、なんと市場調査はほとんどしていないそうです。

では、どうやって数々のヒット商品や新しいアイデアを生み出し続けているのか?

その理由は、社員にありました。

 

モンベルは社員のほとんどがアウトドア・アクティビティが好きな人たちの集まりです。

モンベル本社は部門を問わず、常に全社でアイディアを募集しており最大のアウトドアユーザーである社員が、自由にアイデアを出し合うことで新商品の開発や現行商品の改良をしているのです。

そして、豊富なラインナップを取り揃え、高機能ながらもリーズナブルな価格で商品を提供し続けるモンベルは、それからもレインウェア、ダウン、シュラフにインナー製品まで、大ヒット商品を作り続け、現在では従業員数約1,200人、売上高約840億円にまで伸ばしています。

 

その成功の裏側には、辰野勇の人間性と人脈、モンベルオリジナルへのこだわりと社員の情熱が大きく関わっているのです。

最後にモンベルを作り上げた辰野勇の名言を紹介して、締めくくりたいと思います。

「ボートとカヌーの違いが分かりますか? ボートはオールで漕いで後ろに進みます。カヌーはパドルで漕いで前に進みます。だから僕はカヌーが好きなんです。仕事も一緒。前向きネアカ(根が明るい性格)がいいのです。」

辰野がいかに人に愛される魅力を持った人間であることが分かる言葉だと思います。

以上、今回は日本を代表するアウトドアメーカー、モンベルの歴史について紹介しました!

 

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