無印良品は、なぜここまで人気なのか?【後編】(ミニマリスト、一人暮らしに)

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この記事では、無印良品の歴史を紹介します。

ブランド名で価格が上がることへの疑問から始まった、「無印良品」を展開する良品計画。前編では、「わけあって、安い」のキャッチコピーが世の中にウケて急成長するも、バブル崩壊後の経営難を迎えたところまで紹介しました。

後編では、そこからどうやってV字回復させたのか、堤社長の後任・松井社長の戦略についてみていきます。

1. 経営難になった良品計画に、新社長が就任

出典:https://diamond.jp/

 

株価急落で堤社長の辞任にまで追い込まれた良品計画、このとき代わりに良品計画の社長に就任したのが、松井忠三(まつい ただみつ)です。松井はもともと西友で働いていましたが、セゾングループのトップダウンの風潮が気にいらず、上司や経営陣に意を唱える人物でした。

まずは、そんな松井が社長になるまでを少し紹介します。松井は、1991年に西友から良品計画に出向。いわば事実上の左遷です。しかし、左遷先の良品計画で、順調にキャリアを形成し、1994年に営業部長に昇格。その初仕事、新店舗のオープン日に、松井はある光景に違和感を抱きます。

 

それは、他店舗から応援に来たベテラン店長が、新店舗の売り場を何時間もずっとなおし続けているという光景でした。

当時の無印良品の店舗は、店長に売り場作りを任せており、100人店長がいると100通りの違った売り場が出来上がるという個人の感性で運営をされていました。つまり、その店長次第で売り場が変わり、売り上げも変わるという運営スタイルだったのです。

 

この光景に危機感を抱いた松井は、業務の統一化をする必要があると確信し、すぐにすべての店舗で一定の売り上げが見込める業務のマニュアル化を提案します。しかし、これまで感性を重視してやってきた社内からは、猛反発を受けます。

それらに争いながら、松井は意見も取り入れて役に立つものを作るため、全国から優秀な店長を集めどのような視点で売り場をつくっているかを繰り返し聞き、現在も使われている業務マニュアル「MUJIGRAM(ムジグラム)」を創り上げます。

 

2. 常に最新であり続けるマニュアル「MUJIGRAM」

出典:https://diamond.jp/

 

MUJIGRAMは、店舗マネジメントから販売スタッフのアプローチまで、13項目ある精密なマニュアルで、新人からベテランまで誰でも業務を再現できるようになっています(約6,000ページ)。

またそれだけではなく、現場からの改善要望があれば、社内のネットワークを使い、その都度更新され、店舗間同士のコミュニケーションを図るという役割もありました。

スタッフ全員の経験と知恵を集約し、誰でも高いレベルの仕事を可能にした、進化するマニュアル。それが、「MUJIGRAM」なのです。

 

社内の業務を営業部長として一新していく松井でしたが、そんな時にライバルとして現れたのが、前編でも紹介したユニクロやニトリです。「このままでは、絶対に会社が持たない。」と感じた松井は辞表を書き、クビを覚悟で社長に経営方針の転換を迫ります。

すると当時の社長から、思ってもみない返答をされます。「じゃあもう君が社長をやってくれ。」と言われ、辞表まで書いていた松井はなんと良品計画の社長に就任。51歳にして社長となった松井は、絶体絶命の良品計画を立て直す大改革を始めることになったのでした。

 

3. 松井社長、大胆に発注業務にメスを入れる

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良品計画社長に就任した松井は、セゾンの常識は良品計画の非常識という大胆な経営方針で、社内にはびこる風潮と、これまでの業務を型破りな方法で改革していきます。

例えば、個の力よりも、チームワークが何よりも大切だと考えていた松井。毎朝ベテラン管理職と若手社員が一緒に挨拶をする習慣を作り、社員同士のコミュニケーションを増やす機会を設けました。これまで経営陣や管理職が力を持ちすぎていた状況を、この活動によって改善しようと試みたのです。

 

また、運営方針に関しても、松井は型破りな改革を実行します。当時の良品計画は、どんどん商品を開発し店舗数を次々と増やす方針をとっていました。これが裏目に出て、松井が社長に就任した2001年は38億円の赤字。さらには約100億円もの在庫が、経営を圧迫している事態になっていました。

この状況を、どうにかしないとと感じた松井は、この売れ残った在庫100億円分を何と焼却所分。さらにその際に、現実を知ってもらおうと、発注責任者を焼却の現場に立ち会わせたのです。当然当時の良品計画の社員は、これに大きなショックを受けましたが、それと同時に改めて会社の絶望的な状況を痛感することになります。

 

在庫処分後、松井は発注業務を大改革に乗り出します担当者の裁量に頼っていた発注業務を売り上げデータを基にした、自動発注に方針を切り替えたのです。最初は社内からの反感もあったこの自動発注のシステムも、発注業務がなくなり売り上げが伸びていくにつれ少しずつ受け入れられていきます。

さらに松井は、社風や発注業務の改革だけではなく、商品開発にも自ら関わり、衣料品や雑貨食料品などを試行錯誤しながら考案し、多くのヒット商品を生み出します。そして、松井が就任した当時38億円の赤字であった良品計画は、7年後の2008年には185億円の黒字を達成。絶体絶命と言われた無印良品を、見事にV字回復させたのです。しかしその2008年、松井は驚くべき決断を下します。

 

4. 松井の決断と功績

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松井の驚くべき決断、社長の辞任です。
この決断に対し、後に松井はこうを述べています。「我々のようなサラリーマン1人に権限が集中してしまうと、外から統制が利かなくなり最後は害になってしまう。」良品計画の未来を想って社長を辞任した松井は、現在様々な企業のコンサルティングをしながら、多忙の日々を送っているそうです。

 

松井によって改革された無印良品は、それから順調に成長し続け2020年時点で国内479店舗。海外の11の国と地域で550店舗を経営。計1,029店舗を展開し、総アイテム数はなんと7,500点。

良品計画は現在無印良品の店舗事業だけではなく、MUJIカフェやキャンプ場授業に住宅販売、吸収合併したIDEEブランドの商品販売など、事業を広げ成長し続けています。

 

最後に、良品計画を再建した松井の言葉を残して、この記事を終えたいと思います。「方々から攻められても、組織や仕組みを変えられる人がリーダーであるべきだと思います。」

以上、使いやすいアイテムとシンプルなパッケージで、幅広い年齢層に人気の無印良品の歴史とその理由についての紹介でした。

 

 

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