画像引用:https://wired.jp/article/markus-gabriel-interview/
“実存主義”を、聞いたことありますか?
実存主義は、世界における人間の実存 (現実存在) を説明しようとする哲学の一派で、主に20世紀の実存主義哲学者であるハイデガー、サルトル、メルロー=ポンティらによる哲学思想の運動です。
そんな実存主義に新たな解釈を提示するのが、哲学界のロックスターこと、ドイツのボン大学教授のマルクス・ガブリエルです。
彼の著書、「新実存主義」は、著者自身が自らの考えを展開し、他の哲学者からの質問や反論に応えるかたちで構成されています。
この記事では、“世界は存在しない”、“意味の場”といった独自の概念も解説しながら、本書の導入部分などについて、ざっくり紹介します。
哲学は難しいと思っている方も、ぜひ気軽に読んでみてください!
1. 「新実存主義」への導入
まずは、「新実存主義」の導入として予備知識を簡単に紹介します。
心の哲学
本書を理解するためにはまず、「心の哲学」というジャンルについての理解が必要です。
哲学者のデカルトは、物理的なものと精神的なものを区別し、この二元論は「物心二元論」として知られています。物質的なものは観測可能ですが、精神的なもの、つまり「心」は観測できない不可触な存在と定義しました。
一方で、現代の心の哲学では、心が脳と同一である可能性が科学的に探求されている実態があります。
科学的に世界の理解を深めるという立場は、一般的には違和感ないと思います。
自然主義への批判
一方で、ガブリエルは本書において、「自然主義」を批判しています。
自然主義とは、自然科学によってすべての問題を解決できるとする立場。心も脳の一部として自然科学的に解明できるとされています。
しかし、ガブリエルは物理的な世界の全てを一つの視点で捉えることの不可能性を指摘し、科学だけで全てを説明することの限界を示唆しています。
代わりに彼は、「意味の場」というアイディアを用いて、自然主義に異を唱えました。
「意味の場」とは
「意味の場」とは、ガブリエルが提唱する、全てのものが現れる種類の「場所」。
およそ何らかのもの、つまりもろもろの特定の対象が、 何らかの特定の仕方で現象してくる領域のことです。
これは物理的な形ではなく、より抽象的な存在として捉えられるもので、例えば、フィクションの世界ではアニメや映画のキャラクターが、数学の場では実数や虚数がそれぞれ存在します。
「あなたの部屋」は、部屋としての意味の場があり、食べログで「美味しい中華屋さんを探す」という意味の場にも、食べたい中華があらわれてくる。
また、意味の場をすべて包含する意味の場は存在しないという点で、ガブリエルは単一な世界は存在しないと主張します。
このあたりは難しいので、彼の前著「なぜ世界は存在しないのか」でも、この概念が詳述されているので、より深く理解するためには、本書を手にとってみてください。
2. ギャップの問題と精神
ギャップの問題と哲学的課題
さらにガブリエルは、観察者と自然そのものとの間に存在する「ギャップ」について説明しています。
例えば、観察者には太陽が地球の周りを回っているように見えますが、実際は地球が太陽の周りを回っていますよね。
また、他人の痛みを完全に理解することは困難です。このズレ、つまり、個人の主観と客観的な科学の間のギャップが重要な論点となっています。
このような主観と客観の間のギャップは、哲学の大きな課題です。
ガブリエルは、一人称視点と三人称視点の間のギャップは埋められないことを指摘することで、自然科学による解明の限界を示しています。
進化論や脳科学だけで人間の行動を説明しようとするのは、思考の停止に陥る恐れがあります。
この問題についてさらに知りたい方は、トーマス・ネーゲルの「コウモリになるとはどういうことか」やジャクソンの「メアリー」の議論を参照してください。
自然種と精神の区別
また、ガブリエルは「自然種と精神」というアイデアを用いて自然主義に反論します。自然主義者は、科学によってこのギャップを埋めようと試みますが、ガブリエルはこの試みに異を唱えます。
彼は、自然種(人に作り出されたのではない、様々な点で相互に類似した人間の関心や概念、慣習から独立しているような事物)の本質は、主観的な信念や誤解に左右されないが、精神的な現象は個人の信念に大きく影響されると主張しています。
例えば、ゲージボソンやスカラーボソンなどの素粒子は、個人の理解や誤解にかかわらず、その性質を変えないですが、自分が優秀なスカッシュ選手だという誤った信念や妄想は、個人の行動や人生に影響を及ぼす可能性があります。
何度負けても、自分が優秀なスカッシュ選手だと思い込む限りは、負けたのはたまたまであり、次は勝てると戦い続けることができます。
これにより、自然種は概念や信念に影響されない。一方で、精神はそれらに左右されるという点で違いがあります。
科学的視点の限界
最終的に、ガブリエルは科学的な視点を用いて人間の心を調べようとしても、個人が実際に感じる痛みや苦しみなどの主観的な体験を完全に解明することは不可能であると結論づけています。
これは、心の哲学における深い洞察を提供し、科学と哲学の関連性を示しています。
3. 「新実存主義」の探求
実存主義は、ソーレン・キルケゴールが用い始めた言葉として知られていますが、その伝統は法哲学の問題を回避する戦略を持っていました。
キルケゴールの「死に至る病」やニーチェの「道徳の系譜」、サルトルの著作など、これらの実存主義者は心の哲学の問題を直接取り上げることはありませんでした。
ガブリエルが提唱する新実存主義は、心脳問題への新たな取り組みを目指しています。
彼のアプローチは、自然主義的な方法で心を解明しようとするのは過剰であると指摘し、ニューロンやダーウィン主義を用いて精神を自然種と同一視する傾向に対する批判です。
サイクリングと自転車モデル
ガブリエルは、彼の新実存主義がデカルト的な心身二元論の再構築にすぎないという批判に対して、自転車とサイクリングの関係に例えて反論します。
彼は自転車とサイクリングの関係を用いて、心と脳の関係を説明しています。
自転車はサイクリングのために必要なものであり、サイクリングは自転車に乗る行動によって成り立ちますが、例えば、ママチャリやロードバイクの違いがサイクリングの経験をどのように影響するかを考えることで、脳と心の関係の理解を深めます。
自転車はサイクリングのために必要条件ですが、サイクリングそのものではありません。サイクリングでどれだけ遠くに走るかのモチベーションには影響はほとんどないのです。
このモデルは、脳が心の原因ではなく、心を生じさせるための必要条件であることを示唆しており、精神と自然種は別々に存在し、お互いに影響を及ぼす程度の関係にあることを示しています。
心と脳の関係の理解
脳は心的状態を生じさせるための必要条件ですが、脳だけで心を完全に説明することはできません。
もうひとつ例を出すと、食べものを美味しいと感じる経験は、生物学的な味覚器官(味蕾)と精神的な要素の組み合わせによって成り立っています。
味覚のみでは、これまでの経験から想像したり比較したりすることによる“おいしい”は感じられません。
このことから、心的状態を理解するためには、自然種だけでなく、精神的な要素も考慮する必要があると彼は主張しています。
つまり、他人の痛みや感情を完全に理解することは、単に脳の活動を調べるだけでは不可能だということです。
4. 新実存主義と倫理資本主義
マルクス・ガブリエルの新実存主義では、「心」という突き詰めてみれば、乱雑そのものと言うしかない包括的用語に対応する、一個の現象や実在などないという立場を取ります。
彼の考えによれば、世界は存在しないし、すべてを科学的に説明することはできないということは、これまで解説したとおり。
この哲学的立場は、自然主義者とは異なるアプローチを提供し、心と脳の関係を新たな視点から考察しています。
倫理資本主義
ガブリエルの議論については、彼の本や他の哲学者の著作を参考にして、読者自身で判断することが重要ですが、最後に彼の提唱する「倫理資本主義」についても簡単に紹介します。
資本主義社会は、絶え間ない技術的、経済的、科学的進歩があり、1つのシステムとして形成されることはないというのは多くの経済学者がとっている立場です。
絶えず革新し続ける、無秩序な営み。
そこにあるのは、緩やかな条件、輪郭をあらかじめ予測できない自由契約のみで、そのかたちは予測できないため、そうした意味で、経済学者のシュンペーターは”資本主義に未来はない”と言いいました。
資本主義は、このような定まった実態のない、問題解決ツールの寄せ集め(アンサンブリージュ)であること前提に、ガブリエルは、過去の急速な工業化による大気汚染や過酷な労働は、資本主義そのものが悪いとは言えないという立場をとります。
その上で彼は、倫理的、哲学的、人間的な理解が欠けていたことが原因だとし、経済的進歩と倫理的進歩を融合させ、人類の進歩とすることを目的に、CPO(チーフフィロソフィーオフィサー)の機能導入を提唱しています。
持続可能な真の利益を達成するための新しい様式を、倫理資本主義体制の中で発展させる。心の哲学に焦点をあてるガブリエルならではのアイデアです。
今回の解説は以上です。哲学界のロックスター、マルクス・ガブリエルについて、より詳しく知りたい方は、彼の書籍をぜひ手に取ってみてください!