“原始仏教”って、聞いたことはありますか?
仏教は誰でも知っている言葉ですが、その“原始”って何なの?と思う人も多いと思います。
これは宗教というより、哲学の色の強かった釈迦の教えのことを指します。
この記事では、そんな原始仏教がどんなものなのか、ざっくり解説していきます。
1. 仏教の誕生と釈迦の中道思想
古代インドでは、紀元前5世紀頃に4つのヴェーダ(バラモン教とヒンドゥー教の聖典)が完成し、バラモン教が確立。これによりカースト制度が成立し、バラモンの宗教的権威が国を支配する時代が続いていました。
しかし、そんな中で自由な思想家たちが現れ、バラモン教の指導に異を唱えるようになります。ジャイナ教の始祖ムハーヴィーラやゴーサーラなどがおり、釈迦もその仲間の一人でした。
釈迦、35歳で悟りを開く
インド北部のヒマラヤ山麓(現在ネパール)を治めていた釈迦族の王・浄飯王(じょうぼんおう)と麻耶(まや)夫人の間に生まれた釈迦(ゴータマ・シッダールタ(Gotama Siddhattha))は、生まれながらに幸福を約束された身分でしたが、それを退け29 歳のときに出家します。
ここでは詳しくは説明しませんが、そんな釈迦は菩提樹の下で35歳の時に悟りを開き、弟子たちにその思想を説き始め、最初期の仏教集団が誕生します(この時から自らを「悟った者」「めざめた者」 という意の「仏陀(buddha)」と称しました)。
その教えの中核となったのが、「中道」という考え方です。
釈迦は、ジャイナ教で行われていた過酷な苦行を否定し、極端な快楽追求と形骸化した苦行の両方を避け、“中道”を歩むべきだと説いたのです。
釈迦にとっては、快楽に溺れることも、無意味な苦行を重ねることも、どちらも極端すぎ。
釈迦自身も29歳から6年間、厳しい苦行に耐えましたが、結局、苦行によっては悟りに至らないと悟ったと言われています。
2. 中道思想を実践する上での教え
釈迦は中道を説いたうえで、それを歩むための具体的な実践を説いています。
その代表的なものが、「八正道(はっしょうどう)」と「四諦(したい)」です。
八正道
八正道とは、
- 正見(正しい見解)
- 正思惟(正しい決意)
- 正語(正しい言葉)
- 正業(正しい行為)
- 正命 (正しい生活)
- 正精進(正しい努力)
- 正念(正しい思念)
- 正定(正しい瞑想)
の8つの修行を説いたもの。
これらを3つの段階(学習、理解、体得)で実践することが重要とされ、物事を正しい視点から捉え、正しい行いをすることが中道につながります。
四諦
一方の四諦は、
- 苦諦(dukkha) – この世界は苦しみに満ちている。すべてのものは無常で、執着は苦しみの原因となる。
- 集諦(samudaya) – 苦しみの根本原因は、欲望や執着、無明による。
- 滅諦(nirodha) – 欲望や執着を断ち切ることで、苦しみから解放される。
- 道諦(marga) – 八正道を実践することで、苦しみから解脱する方法が示されている。
という4つの真理のことを言います。
このうち「苦諦」は、現世は生・老・病・死の四苦と、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五取蘊苦の四苦を加えた八苦であるという真理を説いたもので、その現世の「苦」の原因は、人間が無常を認識できないからだと述べているのが「集諦」です。
3. 言葉に絶する悟りの境地
釈迦の教えには他にも縁起説という、すべての事物には原因と結果の関係があり、原因があればその結果が生じるという考え方があります。
釈迦はこれらの論理を用いて、苦しみの原因を取り除けば、苦しみから解放されると説きました。
しかし一方で、釈迦は言葉では悟りの境地を十分に説明できないと考えていました。
悟りへの過程は合理的に説明できますが、最終的には自らが気づき、体得する必要があるのです。
また、釈迦は神の存在や来世といった形而上学的(感覚を超越したものについて考えること)な議論は避け、現実的な問題に焦点を当てました。この「無記(釈迦がある問いに対して、回答・言及を避けたこと)」の姿勢は、原始仏教の特徴とされています。
釈迦の思想の独自性と影響
このように、釈迦の思想は合理性と実践性を重視し、既存の宗教観から一線を画するユニークなものでした。
しかし、釈迦は自身の神格化を望まず、単なる一つの哲学として教えを伝えたにもかかわらず、のちに仏教は宗教として発展していきました。
この釈迦の中道思想を起点として、次第に仏教の教えが体系化されていきました。
釈迦が亡くなった後、弟子たちによる伝播と議論を経て、現在に至る多様な仏教が形作られていったのです。