なぜ値段が高い?5分で学ぶ 、 マーク・ロスコ(最も有名な抽象画家のひとり)

アート・デザインの豆知識

 

“抽象画はスゴそうだけど、なぜ値段が高いのか分からない” と思ったことはありませんか?

一見、絵の具を塗りたくっただけのようなに見えても仕方ありません。しかし、高く評価されるのには理由があります。幾重にも考え、計算つくされた法則や、その1枚に至るまでの背景や哲学など、一見しただけでは分からない複雑な要素が絡み合って1つの作品は完成しています。

この記事では、抽象度が極めて高い画家 “マーク・ロスコ” を例に、

  • 彼の生い立ち
  • 表現技法
  • 作品が見られる場所

を解説していきます。ロスコのここが凄い!をサクッ知りたい方、必見です!

 

1. 深く静かで瞑想的なロスコの絵画

ロスコの絵画 出典:britannica


見ている者を包み込むような、フラットな色彩で大きな画面を埋め尽くす抽象表現のスタイルを「カラーフィールド・ペインティング」と言います。

その代表的なアーティストがバーネット・ニューマンやヘレン・フランケンサーラー、そして孤高の画家、マーク・ロスコ(Mark Rothko)です。ロスコの絵画は、油絵の具を水彩のように薄く溶き、何層も塗り重ねることによって生み出される深い透明感が特徴です。その表面をしばらく凝視していると、最初に見えていた色とは異なる色彩が浮かび上がってきます。

見る者は感情の奥の方が揺さぶられ、その深く入り込んでくる感覚は、一種の瞑想や祈りに近いものを感じるのではないでしょうか。

 

なぜロスコは、この表現方法を選んだのか?

彼も初めからここまで抽象的であったわけではありません。具体的な絵画を描き続け、紆余曲折の末に辿り着いた洗練された表現方法なのです。彼の変遷に沿って、この表現にいたる過程をみていきます。

 

2. ロスコが抽象表現に行き着く過程

マーク・ロスコ 出典:Wikipedia


マーク・ロスコ (本名:マルクス・ロトコヴィッチ)は、1903年生まれのラトビア出身の画家です。
ラトビアは当時ロシア領で、ユダヤ人であるマルクスは迫害を受け、さらにはロシア革命が勃発しそうであったことから、1910年にアメリカのオレゴン州ポートランドへ移住することになります。

優秀な学生であったマルクスは、奨学金で名門イエール大学に入学しますが、そこでのユダヤ人差別に嫌気がさし、早々に中退。その後、ニューヨークで美術の道を志し、ニュースクール・オブ・デザインに入学、1935年にはアドルフ・ゴッドリーフらと前衛アートのグループ「ザ・テン」を結成してグループ展を開催します。しかしこれが、ニューヨーク・タイムズ紙に酷評されることに。

1937年頃のロスコの作品(通りの風景) 出典:Artpedia

 

1940年、酷評から芽が出ず、泣かず飛ばすで37歳になったマルクスでしたが、ここで英語風に名前を“マーク・ロスコ”と改め、アメリカの市民権を獲得します。

さらにこの時期、第二次世界大戦の戦場であったヨーロッパを逃れ、マルセル・デュシャンら多くのシュルレアリストがニューヨークにやって来ました。
ロスコは彼らから強く影響を受け、この頃から悲劇的な要素を描くようになり、少しずつ具象から抽象へと作風が変化し始めることになります。

1946年から彼は作品に題名をつけることをやめ、番号のみとし、題名から読み取れる情報(ノイズ)を消失。そして1949年、46歳にしてついに縦長のキャンバスに複数の色の帯を描く「マルチ・フォーム」の表現に至り、抽象度の高いロスコ・スタイルが完成がします。

 

3. なぜ?抽象表現の裏にある緻密な計算

 

「絵を描くことが自己表現に関わると考えたことは、これまでに一度もありません。絵とは、自分以外にひとに向けた世界に関わるコミュニケーションにほかなりません。このコミュニケーションの内容に納得すると、世界は生まれ変わります。・・・」

「私は悲劇、忘我、運命といった人間の基本的な感情を表現することだけに関心があります」

ーーマーク・ロスコ

ロスコはこんな言葉を残しています。彼は作品と対峙した人がどう感じ取るか、どう理解するかに徹底的にこだわって作品をつくりました。
そして、それを表現するうえで以下の「7つの成分」を大切にしていました。

  1. 死に対する明瞭な関心はなければならない… 命に限りがあり、それを身近に感じること。悲劇的、ロマンティックな美術等は死の意識をあつかっている。
  2. 官能性…世界と具体に交わる基礎。存在に対して欲望をかきたてる関わり合い方。
  3. 緊張…葛藤あるいは欲望の抑制。
  4. アイロニー…人がひと時、何か別のものに至る為に必要な自己滅却と検証。
  5. 機知と遊び心…人間的要素として。
  6. はかなさと偶然性…人間的要素として。
  7. 希望…悲劇的な観念を耐えやすくするための10パーセント。

 

これらの成分を基に、ロスコは色の構成比率を算出していたそうです。はっきりとは理解に苦しみますが、これらの成分により表現された作品と対峙した時の、様々な感情が層になって現れる、宗教的かつ崇高な感覚は、ぜひ生で体験していただきたいです。

 

4. 日本でも見られるロスコの絵画


ロスコは作品を他の作品とは別に、まとめて展示することにこだわり、単体で展示されることを拒否していました。

晩年、シーグラムビルの高級ホテル「フォーシーズンズ」から壁画の制作依頼を受けた彼は、30点近くの作品を完成させますが、それが投機の対象として売買されること、そのホテルのレストランもそんな投機家をはじめとするセレブの店と知った彼は、「食事が5ドル以上の店は犯罪だ」と作品の納品を拒否します。

そして、この公開日にニューヨークの自宅で大量の精神安定剤を服用後、自らカミソリで絶命。彼の死後、その遺作たちの処遇にもめ、シーグラムビルの壁画は結局3つの美術館に残されることになりました。

 

そのうちの1つが、千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館です。

そこには彼の望みどおり、まとめて展示される「ロスコ・ルーム(ロスコが空間と一体となることを望んでいたため一部屋まるごとが展示室と使われている)」と呼ばれる展示室があり、7枚の絵画と空間全体で一つの作品になっています。

アクセスは悪いですが、最寄駅からシャトルバスも出ているので、一度は足を運んでぜひ作品を肌で感じていただきたいです。

DIC川村記念美術館の「ロスコ・ルーム」 撮影:渡邉修 ©️1998 Kate Prizel & Christopher Rothko / ARS New York / JASPAR,Tokyo C3036

 

日本ではないですが、もう一事例。1964年、著名なコレクターとして知られるデ・メニル夫妻から、地元ヒューストンにあるセント・トーマス大学の礼拝堂のための作品制作の依頼を受けます。

これは後に「ロスコ・チャペル」と呼ばれ、彼の晩年のライフワークとなります。

1964年から1967年にかけて完成させたのが18点を完成させますが、1970年にこの世を去ったロスコは、1971年の礼拝堂完成を見ることはありませんでした。

ロスコ・チャペル 出典:thoughtco.com

 

今回は以上です。みなさんがアートに触れる機会が増えることを願っています。

 

 

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