カール・アンドレ《メリーマウント》(1980)
均質に並べられた木のブロック。
これはアートでしょうか? それとも建材などの置き場でしょうか?
この作品の作者であるカール・アンドレは、このような素材をあえて加工せずにそのままの姿で床に幾何学的に配置する作品を多く制作しています。
木材や石、金属板などを並べ、素材の物質性そのものを作品化したのです。
また、アンドレの作品は空間と光に配慮したインスタレーション作品である点も特徴。代表作である《等価物VIII》は、ロンドンのテート・ギャラリーの床にレンガを整然と並べただけのもので、当時は大論争を巻き起こしました。
この記事では、そんなカール・アンドレの生涯について、人間関係、作品の特徴などを解説します!
1. カール・アンドレの生い立ちとミニマリズム
カール・アンドレは、アメリカのマサチューセッツ州・クインシーに生まれ。
フィリップス・アカデミーで学んだ後、兵役を経て1957年にニューヨークへと移住しました。そこから本格的に木を組み合わせた立体作品の制作を始めています。
制作の傍ら、1960年から1964年までの4年間は、ペンシルヴェニア鉄道に勤務。肉体労働と列車の秩序立った運行管理の経験は、彼の思考やアートへのアプローチに大きな影響を与えたと言われています。
1965年に初個展を開催したアンドレは、翌年の「プライマリー・ストラクチャーズ」展への出品以降、ミニマリズム運動を代表する作家の一人として活躍しました。
そんなアンドレは、機会があればデニムのオーバーオールとワークシャツ姿で、公の場に現れる無骨な人物でした。
このような気質は、無機質でありながらも人間味を感じる彼の作品とリンクして、作品への親近感を与えてくれます。
彼の作品への理念は、
「木は木として、鉄は鉄として、アルミはアルミとして、そして一梱の干草は一梱の干草として提示したい」
という言葉に集約されます。
これは、物事をありのままに受け入れ、それ自体の存在価値を尊重することを意味し、素材の物質性の提示という点において、ミニマリズムの定義を最も厳格に推し進めた作家として評価されています。
それにしても、ここまでシンプルで厳格かつ潔い作品を作れるのは、本当にすごいですよね。
そんなカール・アンドレは、2024年1月に88歳でこの世を去っています。
2. カール・アンドレの作品の特徴
カール・アンドレの作品は、木材や鉄、アルミニウムなどの素材をグリッド状に切断し、床に並べたものが多く特徴と言えます。
この制作手法は、「切る」「置く」「積む」「並べる」「ばら撒く」などの限定的な行為を顕在化させ、床面と密着する水平的な設置形態をとっており、従来の彫刻のボリュームや直立性に対するアンチテーゼです。
また、鑑賞者と向かい合うことで、形象性を示唆してしまう従来の彫刻のイリュージョニズム(幻想・錯覚)を解体する試みでもあります。
「同じであること」の反復
アンドレの方法は、「同じであること」という、“反復”を素材と形式の双方において実践するものでした。
この反復性は、ミニマリズム芸術の核心的な特徴の一つです。
アンドレは、素材への介入を最小限に留め、色彩を施すことも極端に嫌っていました。
特に、素材をそのまま加工せずに床に広げる手法は、同時代のミニマリズム作家であるドナルド・ジャッドやロバート・モリスとは一線を画します。
また、アンドレは作品制作だけでなく、詩の発表や執筆活動にも積極的に取り組みました。
彼は「ミニマル・アート」を含む現代美術に関する自身の考えを表しています。
影響を受けたアーティスト
アンドレのこうした手法は、全体と部分の階層差を排除し、統一的形態や同一ユニットの並列、中心性を持った構造に依らない彫刻の新たな方法論として、従来の彫刻観を覆すものでした。
そんなアンドレの作風は、多くのアーティストから大きな影響を受けています。
まず、20世紀を代表する彫刻家である、コンスタンティン・ブランクーシ。
アンドレは、1950年代にブランクーシの作品に触れ、特に《無限柱》からインスピレーションを受けたとされています。これがきっかけとなり、彼は鑿で木に切れ込みを入れた《ピラミッド》を制作しました。
次に、アーティスト兼哲学者のジョージ・セルデンとの出会いがあります。
セルデンの唱える「事物はあるがままに」という思想から、アンドレは素材そのものの本質を尊重する姿勢を学びました。
3. フランク・ステラとの出会い
もう一人、カール・アンドレに影響を与えた人物として、フランク・ステラを忘れてはなりません。
1958〜59年に、カール・アンドレはフランク・ステラとアトリエを共有しました。
この経験は、アンドレの作品に大きな影響を与え、ステラの直線や単色などに純化された画面構成から、アンドレは最小限の要素に純化することの重要性を学びました。
ステラの作品制作からの影響
またアンドレは、ステラの絵画の見た目以上に、作品制作に対する姿勢に影響を受けたと語っています。
ステラが黒いペンキのみを使って画面全体をストライプで埋め尽くす様子から、繰り返しの重要性を感じ取ったのです。
ステラとの出会いを経て、アンドレは独自のドローイングや彫刻を開発していきます。
1960年代初頭には、鉄道ヤードでの作業やストーンヘンジへの旅行など、様々な経験から、同一ユニットで作業する決意を固めました。
作品の変遷
はじめ、アンドレは木材に彫刻することを練習ていましたが、次第に木の板自体を構造的な作品として使用するようになります。
代表作の一つ《梯子》では、木の梁の片側に彫り込みを入れています。
そこからやがて、指示通りにカットした木材や鉄板を幾何学的にアレンジし、床に置く手法を確立。単純なユニットを反復する彼の代名詞となる作品スタイルへと発展していきます。
ブランクーシ、セルデン、そしてステラからの影響を受けながら、アンドレは独自のミニマリズム彫刻を確立していったのです。
4. 素材と場としての彫刻
1966年、アンドレは、ブロックをつなげて床に1列に並べた作品《レヴァー(てこ)》で注目を集めます。
この作品は、彫刻の形態と配置に新しい可能性を開き、後の美術に大きな影響を与えました。
素材の「自然」を現前化
素材をそのまま使うことが、アンドレの作品の特徴と紹介してきましたが、それは物体の素材感や素材の”自然”を現前化させることを目指したものでした。
例えば、「アルミニウムは、アルミニウムである」ほかない、生(き)のままの素材感で提示し、鋼鉄板による作品では、鑑賞者にその上を自由に歩くことを推奨しました。
これは作家のコントロールから離れ、視覚だけでなく、観客が自らの身体を使って作品を意識するという、当時のアートにはない体験を提示しました。
「場としての彫刻」
さらに、アンドレは「場としての彫刻」というラジカルなアプローチを提唱しています。
展示会場の広さに応じて作品の形態を変えるなど、彫刻の概念そのものに挑戦したのです。
アンドレは、ミニマリズム彫刻の革新者として、素材の扱い方、作品の提示方法、そして彫刻の概念そのものに新風を吹き込みました。
5. アナ・メンディエタ事件の影響
1985年、アンドレの妻アナ・メンディエタがニューヨーク市のアパートの窓から転落し死亡する事件が起きました。
アンドレは第二級殺人罪で裁かれましたが、1988年に無罪に。
しかし、この非常に公表された事件への関与は、アンドレの芸術界での評判を大きく傷つけ、一時撤退を余儀なくされました。
2014年のDia:Beaconでの回顧展
30年以上の空白を経て、2014年にニューヨーク州ビーコンのDia:Beaconで、アンドレの回顧展が開催されました。
この展覧会は批評家から好評を得ましたが、一般からは芸術家の個人的な歴史が作品の受け入れを妨げるのではないかという抗議もありました。
それでもなお、アンドレの作品は「ミニマル・アート」の枠内にとどまらず、素材や時間、空間のテーマに多くの示唆を与えています。
リチャード・ロングやトニー・クラッグなど、次世代の作家たちにも大きな影響を及ぼしていることを忘れてはなりません。
ミニマリズム彫刻の革新者として、また次世代の作家たちに多大な影響を与えた先駆者としての地位は確かなものです。