5分で学ぶ、BALMUDA(バルミューダ)の歴史を解説(4万円の扇風機が売れる理由)

man using welding machine アート・デザインの豆知識

 

39,600円の扇風機、欲しいですか?

正直いらない人が、大半だと思います。しかもこの扇風機、ダイソン製品のような空気清浄機能はありません。そんな一見ただの扇風機が、なんとこれまで約80万台も売れています。この記事では、この扇風機の生みの親、異彩を放つデザイン家電メーカー、「バルミューダ」の歴史を紹介します。

バルミューダはどうして大ヒット商品を生み出せたのか、一緒にみていきましょう!

 

1. 寺尾玄(てらおげん)という男

出典:https://www.balmuda.com/jp/

 

まず「バルミューダ」といえば、どんな商品を思い浮かべますか?

クロワッサンをカリカリにできるトースター、流行りましたよね。加湿器やケトルを思い浮かべる方もいるでしょう。洗練されたデザインと画期的なアイデアで作られるバルミューダの家電は、高価ながらも人気がありますよね。

そんなバルミューダ、実は家電業界に全く縁のなかった“寺尾玄(てらおげん)”という1人の男によって立ち上げられたのです。まずは、彼の歴史を振り返っていきます。

 

寺尾は1973年、千葉県で生まれ。子どもの頃から両親に、「お前は人とは違う。」と言われ続けて育てられます。寺尾の家は決して裕福ではなかったですが、「人と違うのだから、同じことをしてはダメだ」という教育方針のもと、日々を送ることになります。

 

寺尾玄 出典:https://business.nikkei.com/


そんな小学校5年生のあるとき、収入が安定しない両親は言い争いが増えていき、ついに離婚。寺尾は、父親と弟との3人暮らしが始まります。一方、実家に帰ってしまった母親は、寺尾が中学校2年生の時に仕事でアメリカに行き、日本に帰る際に立ち寄ったハワイで、シュノーケリングの最中に溺死してしまいます。

何とも壮絶な少年時代を過ごした寺尾ですが、人生の最初の転機となったのは、高校の時に教師から渡された「進路希望書」。当時17歳だった寺尾は、「この紙は絶対に書いてはダメだ。」と拒絶します。

それは、当時から自分の可能性を誰よりも信じていたからです。未来の職業を決め、その職業に向けたコースに進み、具体的に針路を進めていく紙を書いてしまうと、自分の未知なる可能性を裏切り行為になると寺尾は考えたのです。これをきっかけに高校を中退した寺尾は、もともと興味があった海外を旅します。

 

man sitting on gang chair with feet on luggage looking at airplane


スペインやイタリア、モロッコといった地中海沿いを放浪する旅の資金は、母親の死によって手にした保険金でした。旅の途中、異国の音楽文化に出会って影響を受けた寺尾は、日本に帰国後、ロックスターを目指して音楽活動を開始します。

この時点では、まだ全く家電が出てきませんね。ギターを買って、覚えたての4つのコードで曲を作り、レコード会社に送ると、何とすぐに事務所が決まります。

 

その後バンドを組んで、トントン拍子で音楽活動を続け、大手レーベルからのメジャーデビューが決定。しかし、スポンサーであった企業の業績が悪化し、デビューの話はなかったことになります。

それからも寺尾は、アルバイトをしながらバンド活動を続けますが結局売れず、2001年にバンドは解散。ここで寺尾は、“夢って叶わないんだ”と、衝撃を受けます。この時すでに、28歳になっていました。

 

2. 寺尾を突き動かしたダッチデザイン

出典:https://note.com/jucydesign

 

ロックスターになる夢が散り、これからどうしようかと悩んでいたある日、彼女の家でひとつの雑誌が目に止まります。それは、オランダのデザイン誌「FRAME(フレーム)」。この出会いが、寺尾の人生の第2の転機となります。

その雑誌に載っていた、オランダのdroog(ドローグ)というデザインプラットホームが打ち出していた、突き抜けた商品デザイン(ダッチデザイン)。寺尾はそれに衝撃を受けます。(droogについては過去のこの記事でも、Lag Chair(ラグ・チェア)を紹介しているので、見てみてください。)

 

初めてプロダクトデザインというものを知り、その未知の可能性を知った寺尾はすぐに行動を開始します。まず、コンピューターで設計をするCADの使い方を学び、素材や加工の知識を本屋で片っ端から立ち読みをしていきます。

例えば、チタンは何度で酸化するのか?
ステンレスの加工の仕方は?

といったことを独学で学び、徐々にどういうふうにモノを作るのかを理解していきます。


それと同時に、電話帳で近くの工場を片っ端から調べては訪ね、中を見せてもらえるように交渉しました。しかし、どの工場も寺尾をまともに取り合ってはくれません。
それでも根気強く回っていく中で、運命的な出会いが訪れます。それは「春日井製作所」という、小さな金属加工の工場でした。

 

3. 1年の試行錯誤の末、X-Baseが完成

春日井製作所(東京都・小金井市) 出典:https://koganei-s.or.jp/

 

当時、寺尾は工場を見学したのち、借金をして金属加工の機械を買うつもりでしたが、春日井製作所の春日井さんからこう言葉をかけれらます。「自分でいきなりやっても上手くいかないよ、うちの使っていいからここでやれば。」それは寺尾にとって、神の救いのような言葉でした。

 

春日井さんを含む3人の職人は、忙しい中でも機械の使い方教えてくれ、寺尾に好きなものを作れる環境を提供してくれました。1年ほど毎日工事に通い、ついに作り上げた最初の商品が、無垢のアルミニウムとステンレスのパーツで作られたノートパソコン台 「X-Base」。この商品で寺尾は2003年に、たった1人でバルミューダを創業します。

X-Base 出典:https://www.balmuda.com/

 

1台3万円以上した商品でしたが、発売から3カ月で100台以上を販売することに成功。

その次に作ったLEDのデスクライトHigh-wireも部品が高くつき、値段は6万円と高価格でしたが、デザイン性の高さで高級インテリアショップでよく売れます。そして、バルミューダの年商は数千万円にまで跳ね上がるのでした。

 

4. 倒産寸前!最後に人に必要とされる商品をつくる

a man holds his head while sitting on a sofa

 

リーマンショック当時を振り返り寺尾は、「FAXが壊れたと思うぐらい、全く注文が入らなくなった。
音楽の時もそうだったが、これもまたダメになってしまった。自分には成功に縁がないのかもしれない。」と思ったそうです。会社は倒産寸前の状態になり、寺尾はすでに36歳になっていました。


そんなある時、街を歩いていた寺尾は、不況の中でもファミリーレストランで楽しそうに会話をする家族を見てハッとします。自分の商品が売れないのは不況のせいじゃなく、お客にとって必要じゃないから売れない。倒産は秒読みでしたが、寺尾は最後に人に必要とされる商品を作ろと決心します。そして寺尾は、以前からずっと作ってみたかったものの制作に取りかかります。

 

それが、扇風機。子供の頃、自転車に乗ったときに体に当たる風が気持ちよかったことを思い出し、あれを再現できれば人に必要とされるのではないかと考えたのです。その制作過程で、寺尾はあることを思い出します。それは、町工場で壁の方を向いていた扇風機。

寺尾はさっそく職人に、なぜ壁に向けているのかと尋ねると、職人はこう答えました。「壁に当てると、風がやさしくなるんだよ。」それを聞くと、寺尾はすぐに流体力学の本を買って、なぜ壁に当てると風がやさしくなるのか調べて始めます。

 

そこでわかったことは、“普通の扇風機の風は渦を巻きながら直線的に進むが、壁にぶつけることで渦はなくなり、流体は面に変わる。”ということ。その結果、風はやさしくなるのです。理屈は理解した寺尾でしたが、それをどう扇風機に落とし込むかという問題がありました。

 

5. 考え続ければ、ひらめきの瞬間は突然やってくる

four children standing on dirt during daytime

 

毎日いろいろ考えては試していきますが、うまくいかない日々。そんなある時、寺尾はあるテレビ番組に目を止めます。それは、小学生の30人31脚のドキュメンタリーでした。


その中に、足の遅い子がいて、その子を中心に転んでしまうのを見たとき、寺尾はハッとします。これはもしかすると、流体でも同じ現象が起きるんじゃないか?とひらめいたのです。それは毎日必死に勉強し、もがき続けた寺尾に、救いの女神が手を伸ばした瞬間でした。

 

このひらめきをもう少し分かり易く解説すると、高低差のある水面が必ず一定になるように、流体というのは著しい差が生まれたとき、バランスが取れた状態に戻ろうとする習性があるということです。

この流体の習性を利用して、内側と外側にそれぞれ違う速度の風を同じ方向に出す2種類の羽を配置し、風同士をぶつけ合う。そうすることで、速い風が遅い風に合わせるように渦を消し合い、面の風を送り出すことができるのではないか。これが、寺尾が出した答えです。

実験をした結果、予想どおり自転車に乗っているときのような、柔らかい風が出てきたのです。そこから、さっそく試作品を完成させようとする寺尾でしたが、すでに資金は底をついていました。銀行には、4万円の扇風機が売れるわけないと相手にされないのでした。

 

6. 成功への寺尾の確信と、それ救った恩人

BALMUDA GREEN FAN 出典:https://www.balmuda.com/jp/greenfan/

 

扇風機のアイディアを諦めるわけにはいかなかった寺尾は、そのモーターを供給してもらうことになっていたフジマイクロの社長に直談判し、なんと試作品を作る資金を立て替えてもらえることになります。その試作品を持って、いろんな業者に売り込みに行ったところ、評判は思いのほか良く、どんどん注文を受けることに。

そこで寺尾は、再度お金を貸してくれた社長のところに行き、こう伝えます。「この勝負、絶対に勝てます。だから僕に初期費用の6千万円を貸してください。」

この無謀とも言える相談になんと、社長はOKを出したのです。そうして2010年、ようやく完成したBALMUDAのGREEN FANは大ヒット。高級扇風機という新たな市場を切り開き、絶体絶命のピンチから起死回生の一手で、業績を回復させることに成功したのでした。

 

そこから、2012年には海外にも進出したバルミューダは、販路を広げ売り上げを伸ばします。2015年にはスチームで焼き上げる、バルミューダ・ザ・トースターを発売。

焼く前に水を入れるという従来のトースターの概念を覆す、2万円以上するこの商品も、国内外で100万台以上を売り上げる大ヒット商品となっています。このトースターも、人とは違う観点を持つ寺尾のひらめきによって生まれたものでした。

 

7. 常識を疑い続けるバルミューダのものづくり

green and brown vegetable on white ceramic plate

 

社員とバーベキューをした際に、炭焼きグリルの上で焼いた食パンが、ふんわりと今までに食べたどんなトーストよりも美味しく感じた寺尾。これを再現しようと研究しますが、何度炭火のグリルで焼いてみても、なぜかあのふんわり感は再現できませんでした。

そうして困っていた時に、ある一人の社員がふとこう言います。「あの時、土砂降りだったよね。」それを聞いた寺尾は、もしかするとあのふんわりは、炭火ではなく水分だったのでは?という考えに至ります。これが、スチームを使うにアイデアにつながったのです。

 

この例のように常識を疑い、それからも新しい画期的商品を生み出し続けてきたバルミューダは、売上をどんどん伸ばし、急成長。2020年には販売台数の過去最高を記録し、同年12月には東証マザーズで上場。かつてはロックスターを夢見て挫折した一人の男・寺尾玄は、まったく素人の状態からバルミューダを創業し、絶体絶命のピンチをも乗り越え、今では“家電業界の風雲児”とまで呼ばれるようになりました。

バルミューダの商品はどれも高価格ではありますが、そのデザイン性と、今までになかったアイデアを従来の製品に落とし込むことで、革新的な大ヒット商品を作り続けています。これからもバルミューダは、常識を疑い続け、人に必要とされる商品を提供し続けてくれることでしょう。

 

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