【5分で学ぶ】ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、その生い立ちと哲学・名言(論理哲学論考)

時代を生き抜く考え方・哲学

 

“論じえぬものについては、沈黙しなければならない”

この印象的かつ魅力的なフレーズを残したのは、哲学者ルートヴィヒ・ヴィトケンシュタイン

彼の生涯残した2つの書籍のうちの1つ「論理哲学論考」では、この言葉で締めくくられ、彼の言語と論理の哲学は、哲学のみならず学問全体、現在あるコンピュータの誕生にも大きな影響を与えました。

実にクールでカッコいいですが、この意味を理解するには実に困難ですが、この記事ではその導入として、簡単にその哲学の概要を解説します。

ぜひ最後まで読んでみてください!

 

1. ウィトゲンシュタインの生い立ちと初期の活動

 

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは1889年、オーストリア・ハンガリー帝国のウィーンに生まれ。幼少期は重度の吃音に悩まされ、14歳までは家庭教師による教育を受けていました。

哲学への関心を深めたきっかけは、姉から勧められたショーペンハウアーの著書『意志と表象としての世界』を精読したことだったそうです。

1912年、ウィトゲンシュタインはケンブリッジ大学に移り、バートランド・ラッセルから直接哲学を学びます。

1922年、代表作『論理哲学論考』(以下、論考)を発表すると、「哲学の問題は全て解決された」と判断し、一旦哲学の世界から離れます。しかし、その後小学校での教職を経て、再びケンブリッジに戻り研究を再開します。

 

2. 『論理哲学論考』における言語観・世界観

white and black train on rail tracks during daytime

 

『論考』の有名な一節「語りうることについては明晰に語りうる。論じえぬものについては沈黙しなければならない」には、ウィトゲンシュタインの言語観と世界観が集約されています。

彼は「世界は人間が理解できる意味を備えていない」と考え、言語による記述を介して初めて世界を理解できると主張しました。

 

写像理論

その根拠となるのが、「写像理論」です。

世界は個々の事実の集まりであり、それぞれの事実に対応する科学的言語が存在する、というもの。

例えば、「山が色づいている」という事実や「トロッコが線路を走っている」という事実が、それぞれ独立して存在しています。

写像理論では、これらの事実にはそれぞれに対応する科学的言語が存在すると考えます。事実と言語は一対一の関係にあり、事実の総体が世界を形成し、そのすべてに言語が対応しているという考え方です。

これにより、事実と言語の間には「確実に確認できる関係」が成立しているとされ、言語を分析することで世界全体を理解できると考えたのです。

 

従来の形而上学批判

その一方で、ウィトゲンシュタインは写像理論を用いて、従来の形而上学的な命題(例:「神は善である」)を言語の誤用だと批判しました。

「神」や「善」といった言葉の定義が曖昧で、対応する事実を言語化できないため、そもそも意味を成さないと考えたのです。

哲学の役割は、言語化できる事実とできない事実の境界線を明確にすることだと主張しました。

この考え方は、後にアメリカで論理実証主義の運動に大きな影響を与えることになります。

彼のこの思想は人間の認識の限界と可能性を明確に提示したと評価できるでしょう。

 

3. 科学的言語と日常言語の違い

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ウィトゲンシュタインは『論考』で、世界は事実の総体であり、事実とセットになった言語があれば、その言語を分析することで世界を理解できると主張しました。

しかし、後に自らの考えに疑問を持つようになります。

論考では事実に対応するのが「科学的言語」と想定されていましたが、実際に私たちが用いるのは日常言語です。

科学的言語は日常言語に基づいて体系化されたものであり、日常言語を理解せずに科学的言語の意味を捉えることはできません。

 

日常言語における言語ゲーム

日常言語を分析する過程で、ウィトゲンシュタインは言語と事実が一対一で対応するとは限らないことに気づきました。

例えば「月が綺麗ですね」には「月が綺麗だ」と「あなたを愛している」の2つの意味があり、「結構です」も肯定と否定の意味を持ちます。

このように日常会話では言葉の意味が文脈によって変化することを、彼は「言語ゲーム」と呼びました。

言語の意味は言語ゲームのルール次第で決まり、そのルールを理解するには実際にゲームに参加する必要があるとしました。

 

4. ウィトゲンシュタインと分析哲学への影響

 

ウィトゲンシュタインは後期になって、言語と現実の関係について根本的な疑問を投げかけました。

言語ゲームの存在から、言語の意味を事実から完全に切り離すこともできるのではないか、と考えたのです。

言語を分析する際、分析者自身もゲームに含まれてしまうため、その全容を捉えきれない可能性も指摘しています。

このようなウィトゲンシュタイン後期の考え方は、分析哲学の発展に大きな影響を与えました。

分析哲学とは、事物そのものを分析するのではなく、事物を表す言語を分析することで、言語と現実の関係性を解明しようとする哲学的立場。

現代の主流的な哲学の一つとなっています。

 

言語の曖昧さと人間理解の可能性

ウィトゲンシュタインの思索は、言語には本質的な曖昧さが存在し、言語から完全に対象を捉えきることはできないという認識につながりました。

しかし同時に、日常言語ゲームの規則を解明することで、ある程度の現実理解が可能になると示唆しています。

言語の限界と可能性の両面を提示した点で、彼の思想は人間理解の本質に迫るものがあると評価できるでしょう。

 

実は建築の設計もしていた

ちなみに、建築を設計したこともありヴィトゲンシュタイン。現在でも彼のデザインしたドアハンドルを購入することができます。いつか自宅に採用したいと思います。

 

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