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レム・コールハースの「S,M,L,XL」という書籍を知っていますか?
これは、コールハースと彼の設計事務所(OMA)の20年間の活動の集大成としての本です。
機能や形態にかかわらず、「スケールに従って」空間を分類した結果、直接の関係を持たない内容が隣り合うという事態が生じる。
モダニズムの機能主義的な秩序とは一線を画し、混交と過密、近接と衝突という、「錯乱のニュー ヨーク(1978年)」から現在まで持続するコールハースの問題提起を体現している1冊です。
この記事では、「S,M,L,XL」の内容をざくっと解説していきます。
“「建築」とは、現実に「建てられたもの」だけではない”という考えは、コンペの落選案や夢想したスケッチなど、建てられることがなかったものから大きく影響を受けているレムの視点です。
現実と非現実を分け隔てなく扱うこの視点が、 S,M,L,XLを読むためには重要になります。
例えば、本書に出てくる「エクソダス」(『S,M,L,XL』p.10-11) は、 ロンドンの中心部を貫く、2つの壁に囲われた帯状の建築。
その帯は、いくつかの正方形の広場に分割され「儀式の広場」、「四要素の広場」、「浴場」などと名付けられ、それぞれに細かな設定がされています。
全体に共通するのは、人工的に作られた快楽的・幻惑的な体験。
「エクソダス」は、ロンドンの街から逃れ、壁の中に自発的に囚われていく人々が、壁の内側で逆に自由を手に入れるという問題作として、建築界にセンセーショナルな印象を与えました。
何者からも解放されて自由を手に入れたとき、人々は「エクソダス」の中に居続けることを選択するのでしょうか?
制限や与えられた仕事があるからこそ、束の間の自由を楽しめるという見方もあります。
あなたは、「エクソダス」を目指したいですか?
この提案の背景に、レム・コールハースが1971年にAAスクールの課題として行なった「建築としてのベルリンの壁」というリサーチがあります。
閉じこめられていたのは東ベルリンではなく、西側の”開かれた社会”だったのだ。
…私は壁が都市をぐるりと取り囲み、 逆説的にそれを”解放”していることを悟った。
…また、壁は不変ではなかった。それは私が考えていたような単一の存在 ではなかった。それは”状況”であり、絶え間なく、ゆっくりと展開していた。壁のある部分は無骨に明快に計画されてお り、別の部分は即興的だった。
ー S,M,L,XL p.218-219
「エクソダス」は、明らかにこのリサーチによる発見の建築化と言えます。
コールハースが1980年代から今に至るまで追求し続けている「ヴォイドの戦略」という方法論は、このエクソダスの“逆説的な解放”の発見から生み出されました。
2. 「Small」
ここからは、「Small」に分類される建築について、部分的に解説していきます。
1985年、ミース・ファン・デルローエのバルセロナ・パビリオンが再建されようとしていました。
コールハースは、その復元を「ディズニーランドとどこが違うのか?」と、痛烈に批判。トリエンナーレでのインスタレーションにおいて、この建物の「真の歴史」を描くことを試みます。
彼が行ったのは、バルセロナ万博以後のパビリオンの足跡を克明にたどること。
その調査によると、バルセロナ・パビリオンは、ドイツに見捨てられ、スペインのアナーキストに利用され、また見放されて廃墟になり、ベルリンに移送され、ナチス政権下に大理石が流用され、戦後には東ドイツの運動場のロッカー・ルームとして再利用されたそうです。
そして最後に、西ドイツの学者がパビリオンを「再発見」することで、コールハースの描く「真の歴史」に幕を閉じることに…。
バルセロナ・パビリオンに対するコールハースのこの態度は、”ミースが設計したパビリオン”というノスタルジーに浸るのではなく、建物そのものの記憶を志向する、彼の歴史認識をよく表しています。
また、このトリエンナーレ2つ目のコンテンツとしては、ミースのクレーラー邸についての、コールハースの母からの「伝聞」に基づく奇妙な記録というものがあります。
あるとき、彼女(クレーラー夫人)は一人の建築家に家の設計を頼んだ。
彼女はその案の原寸大の模型をキャンバス布 でつくらせたが、結局反対を決めた。
その理論上の家のすぐ近くを列車が通り過ぎるから、という理由で。…
ーS,M,L,XL p.62
ここに書かれている、原寸模型までつくったにも関わらず、建てることができなかった不運な建築家とは、若きミースのこと。
コールハースは、この経験がミースに決定的な影響を及ぼしたのではないかと推測します。
重厚な古典主義的建築を表現するためにつくったにも関わらず、キャンバス布製の原寸大模型には「軽さ」と「白さ」という性質が現れてしまう。
これが透明で反重力的な、後のミースの建築のユニバーサル・スペースに繋がったのではないか。1:1(原寸大)というスケールにおいて、模型が予言的な建築(後の作家性を決める鍵)に変貌するというきわめて重要な考察です。
スケールが変わることにより、建築の意味が根本的に変化するというのは、本書「S,M,L,XL」に通底する問題意識です。
3. 「Medium」
ベルリンの壁は都市計画スケールをもつ構造物ですが、本書では「Medium」に分類されています。
コールハースにとって、「Medium」より大きな「Large」とは、巨大さによって内外の均衡が崩れた建築。内部の大きさを外部が表現できなくなった建築を指すと考えられます。
そのため、どんなに線的に長大な長さのベルリンの壁でも分類は「Medium」。
同様のことは、巨大な床面積にも関わらず「Medium」 に分類されているフランクフルト空港のオフィス・シティにも言えます。
基準プラン
コールハースは高層のオフィスビルを「人を収容する」機能しか持たない、極めて抽象的な存在として捉え、その結果として生まれたのが「基準プラン」だと考えました。
この概念は、1902〜1970年のNYのオフィスビルの平面図によって表現されます。
図面から間仕切りや家具を消すことで浮かび上がる「からっぽの長方形」として定義づけられた基準プランは、直交座標に従って整然と並ぶコアと最小限の柱が基本要素として挙げられます。
近代化によりもたらされた、この基準プランによる「新世界」に対し「旧世界」の建築を本書では、整形や規格を嫌って独自性に執着する「非」基準プランと呼んでいます。
基準プランを新世界の建築=近代化の正統と認めることにより、コールハースは差異を競い合う多くの近現代建築を「旧世界」の産物である、と批判します。
「基準平面は反復を暗示する。それは第nの平面だ。基準(typical)であるためには、大量でなければならない。」
ーS,M,L,XL p.342
一見すると退屈なオフィスビルの平面に、新しい価値を見いだすコールハースのこの姿勢は、基準プランの反復に没個性の美学とでも言うべきものを見いだしています。
SとM、MとL、LとXLを、コールハースは何で分けているのか
基本的に、『S,M,L,XL』ではサイズによってコンテンツを並べているが、何m²以上の面積はプロジェクトはM、何m 以上の高さのプロジェクトはL、といった境界を具体的に示すことはできません。
本書におけるS、M、 L、XLは単なる物理的な大小だけではなく、概念によっても切り分けられているのです。
そして、SとMを切り分ける概念の一つが、基準プランと没個性の美学。大量の反復を前提とする没個性の美学は、Mから現れる建築の特性であり、裏を返せばSはいまだ個性の美学があると言えます。