5分で学ぶ、スノーピークの歴史(こだわりのテント、バーナー、テーブル)

日々を豊かに、丁寧に暮らすコツ

画像引用:https://www.youtube.com/watch?v=mrSsIQbTmuc

みなさんはキャンプが好きですか?
最近ではアウトドアギアの充実やグランピングなど、よりハードルの低いレジャーになりましたよね。

この記事では、そんなアウトドア業界で世界に先駆けオートキャンプのスタイルを生み、現在はアパレルブランドとしても成功している日本のアウトドアメーカー「SnowPeak(スノーピーク)」の歴史を紹介します。今や不動の地位を確立したスノーピークですが、現在に至るまでには長い道のりがありました。歴史を知ることで、そのアイテムを機能以上に愛せるようになりますよ。

 

1. 山井幸雄、自ら欲しいものをつくる

創業者・山井幸雄 出典:スノーピーク

 

スノーピークは、日本の新潟県・燕三条というモノづくりが有名な街から誕生したメーカー。創業者の山井幸雄(やまい ゆきお)が、1958年に大工道具をメインとした「山井幸雄商店」という金物問屋を立ち上げたところから、その歴史が始まります。山井は金物問屋を経営しながら趣味でよく登山をしていましたが、あるとき燕三条で働く街工場の職人の一人に、「テント設営用のペグ(テント用のクギ)を作ってくれないか。」と依頼をします。もちろんこれは自身の問屋で売るためではなく、あくまで個人利用をするための依頼でした。

その後も山井は気になる登山道具があれば友人の職人に頼んだり、ヨーロッパから取り寄せたりと人一倍こだわりました。しかし、結局満足のいく道具は見つからず。そこで、「いっそ、自分で作ればいいじゃないか。」と思い始めます。そして山井は燕三条の腕利きの職人たちに協力してもらい、ペグだけではなく登山靴用のスパイクやハンマー、アイゼンなど自らが欲した満足のいくギアを次々と完成させることに。ちなみにこの時大切にした、“ユーザーとして、自ら欲しいものを作る”という精神は今なおスノーピークに継承されている大切な理念です。そこから、自身が考案テストしたそれらの登山道具の販売を開始します。

 

この当時の日本では、日本隊がヒマラヤ山脈・マナスルの登頂に成功したことをきっかけに、空前の登山ブームの訪れていました。そんな流行りと時を同じく開発した山井の高品質な山道具は大ヒット。特にアイゼンは大評判となり、全国に販路を拡大していきます。好きなことへの情熱が、新たなビジネスを生み出したよい例ですよね。そして山井は、1963年に商品のブランド名を“Snow Peak(スノーピーク)”とすることに決め、1976年には卸し問屋としては異例の自社工場を設立するまでになります。

 

2. 息子・山井太、こだわりのテントをつくる

man in gray dress shirt

 

順調に見えた山井幸雄商店でしたが、登山ブームが去り、そこから稼ぎ頭のアイゼンの売り上げが急激に落ち込んでいきます。さらに、取引先の登山専門店は次々と倒産。山井幸雄商店は、付け焼き刃で釣具にも進出することで、なんとか倒産を免れましたが、かなり苦しい経営状況が続きます。そんな苦しい状態を変えることとなるのは、他でもない山井幸雄の息子・山井太(やまい とおる)でした。父親譲りのアウトドア好きだった山井太は、アメリカ留学した際に本場のキャンプ文化に触れ感銘を受けます。

 

それまでの日本のキャンプはというと、トレーニングや教育の意味合いが強く、アメリカのようなバックパッカーやヒッチハイカーなどの自由なイメージは少なかったのです。日本に帰国した山井太は、アメリカンスタイルのキャンプを楽しめないかと試行錯誤を始めます。

そこで気づくのは、日本のキャンプ道具への不満。テントは2万円程度と安いのですが、雨風に弱く見た目も悪い、貧弱なものばかりだったのです。山井太は、“キャンプだからこそ、豊かな時間を過ごすべき”と考え、父・幸雄が欲しい登山道具を自ら作ったように、自分の欲しい理想のテントづくりを始めます。そうしてできたテントはなんと、168,000円。コスト度外しにとにかく質を追求した結果、相場の10倍も高いものになってしまったのです。

 

3. オートキャンプのブームをつくる

スノーピーク・アメニティドーム 出典:https://hinata.me/

 

自らのこだわりのテントが完成した時に山井太は、“自分のために作ったものであり、一つも売れなくていい”と思っていたそうです。しかし実際には、100張りほど売れることに。この瞬間に山井太は、“ユーザーとして欲しいものを作れば、欲しい人は必ずいる”と確信したそうです。

そこから、東京オリンピック以降に日本での自動車の普及がぐんぐん上昇していることと、アウトドア向けのSUV(Sport Utility Vehicle)が街によく走ってるのを見て、山井太はこう考えます。「街乗りでしか使われていないSUVはもったいない。オートキャンプ(自動車を使ったキャンプ)であればSUVの用途にマッチするのではないか。」

 

そこで、父・幸雄の反対を押し切り、“自然の中で豊かに贅沢な時間を過ごすこと”をテーマとしたオートキャンプ事業を開始します。オートキャンプを、“新しいライフスタイルのあり方”と捉えた山井太は、高価でも高品質なキャンプ用品を展開していきます。ちなみに、キャンプサイトにテントやタープ、ローチェアといったレイアウトの概念を取り入れたのはスノーピークが始まりと言われています。

1990年、好景気の真最中の日本では、お金を趣味に使う余裕があり、新しいアウトドアスタイルであるオートキャンプは多くの人から支持されることに。スノーピークのアウトドアギアは飛ぶように売れ、日本のキャンプブームを作り出した一因となります。次なるキャンプブームの到来を待つのではなく、自ら作り出したのです。そして1996年、山井太への社長の代替わりと同時に、社名を商品のブランド名である“スノーピーク”に変更するのでした。

 

4. ユーザーの声にも耳を傾ける、スノーピークウェイ

スノーピークウェイの開催風景 出典:https://www.snowpeak.co.jp/

 

社名を「山井幸雄商店」から「スノーピーク」変更した1996年。奇しくもこの年が、第二次キャンプブームの最盛期であり、スノーピークは名前を変えたその時にピークを迎えてしまうのでした。翌年からは、恐ろしいスピードで市場が縮小。キャンプ場の閉鎖が相次ぎ、アウトドア関連の雑誌もほとんどが廃刊する状況の中、スノーピークは再び苦しい時期を過ごすことになります。6期連続減収に見舞われたスノーピークは、世間のキャンプ離れが進む中で、自らの存在意義自体を疑い出します。

 

追い詰められた社長・山井太は、藁にもすがる思いであること始めます。それが、商品ユーザーの声を聞く、“スノーピークウェイ(Snow Peak Way)”というキャンプイベントです。ユーザーと一緒にキャンプをし、その中で山井は全く予想もしなかった声を聞くことに。

「スノーピークは、ものはいいけど高すぎる。」
「店に入っても、欲しいものが置いてないんだよね。」

商品自体は認められていましたが、値段高い、品揃えが悪いというのがユーザーの率直な感想でした。山井は1年で70日ほどキャンプをしていて、どこでも夜しっかり眠られるタイプの人間でしたが、その日ばかりはあまり眠られなかったそうです。

 

5. 高品質で一生モノであれば、スノーピーク

スノーピーク エントリーパックTT SET-250H 出典:https://product.rakuten.co.jp/

 

そこから、ユーザーの生の声を聞いた山井は、流通を見直す大改革を実施していきます。それまでのスノーピークは、全ての商品を問屋を通して販売店へ卸していました。その時のテントの末端価格は、80,000円。山井は、なんとこの問屋との取引を全廃しますこれにより、テントの値段を59,800円まで下げることができました。また1,000店舗あった販売店を、正規特約店の250店舗にまで絞り、正規特約店の品ぞろえを充実させました。さらに、これまで販売は店任せだったところを、正規特約店に社員を常駐させ、商品の良さをしっかり伝えられるように環境を配備。ユーザーとの関係性を築いていったのです。

また、スノーピークがブランドとしての信頼を確立した理由に、アフターサービスの高さが大きく関わっています。スノーピークは商品のほとんどを永久保証しており、良いものを長く捨てない = エコロジーの提案をしています。そうして徐々に製品の価格が高くても、“高品質の一生モノであれば、スノーピークを買う”というユーザーが増えていくのでした。

 

スノーピークの焚き火台 出典:出典:https://www.snowpeak.co.jp

そこからスノーピークは、ステンレス製のマグカップや、地面にダメージを与えない焚き火台、手のひらサイズのバーナーなどユーザーの視点に立ち、これまでいなかった画期的な商品を作り続け大ヒット。ユーザーの声に耳を傾けた結果、業績はついにV字回復。売り上げは41億円までに急成長するのでした。

 

6. 本社とキャンプ場を併設した、ヘッドクウォーターズを設立

Snow Peak Headquarters 出典:https://sbs.snowpeak.co.jp/

 

この出来事がきっかけで、スノーピークはスノーピークウェイを毎年開催し、ユーザーの声を聞く機会を設けています。また、このスノーピークの大躍進を陰で支えたのは他でもない、地元新潟燕三条の町工場の技術のおかげでした。山井は燕三条で昔から付き合いのある街工場に足を運び、自社では持っていない職人の技術で質の高いオンリーワン製品を一つ一つ作り上げていきました。

2011年には、スノーピークは新潟県三条市の山を買取。本社とキャンプ場を併設した、ヘッドクォーターズ(Snow Peak Headquarters)を設立します。これには20億円以上が投資され、社内からも年商30億円程度の会社がこんなものを建てて大丈夫かと疑念の声が上がっていました。

 

しかし、近代的でカッコいい社屋にキャンプ場も併設。この日本の企業らしくない決断が、功を奏します。様々なメディアからの取材を始め、あのアップル社がわざわざ視察に訪れるほど、スノーピークのヘッドクォーターズは注目され、熱狂的でコアなファンを増やすことに成功します。こんな本社を作れたのも、東京や大阪といった都会ではなく、新潟といった地域に根ざした企業であったからでした。現在スノーピークは日本だけに留まらず、海外でもファンを増やし続けており、売上の20%がアメリカ・台湾・韓国といった海外の国々が占めています。

 

人間性の回復

スノーピークのコーポレートメッセージは、“人生に、野遊びを。”新しいライフスタイルのあり方を捉えたシンプルなメッセージですね。2020年3月には3代目社長として山井太の娘・山井梨沙さんが就任。

山井 梨沙(やまい りさ)出典:https://senken.co.jp/


元アパレルデザイナーの強みを活かし、「衣・食・住・働・遊」、人が生きる全てのライフステージに価値提供できるブランドとして拡大を続けています。
地球環境へ配慮といった企業の“誠実さ”が、業績を大きく左右するようになった世の中だからこそ、あるべき企業像をこれからも示してくれるでしょう。

 

 

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